February 26, 2006
◇フィリピンの黄色い Tシャツの想い出
「テレビ番組収録中の事故」、「レイテ島の地滑り災害」と今月になってからよくない事件続きのフィリピンですが、『そうだ、そろそろEDSA 革命の日、一滴の血も流さずに独裁政権から民衆が自由を勝ち取った、あの PEOPLE'S POWER からもう今年で20年なんだ、週末のブログ記事はこれでいこう』と思っていた矢先のできごとでした。
2月23日、レイテ島の救援状況を気にしながら「クーデター計画発覚、将校14人を逮捕」というニュースの見出しには気がついていました。でもそれほど気には止めていませんでした。
2月24日、「エドサ革命20周年にあたって新たなピープルパワーによる暴動や反乱が懸念されることから全国で警戒態勢を敷いた。」
この記事の直後でした、アロヨ大統領が『非常事態宣言』を発令した、ということを知ったのは。
2月25日、CORAZON AQUINO (コラソン・アキノ)が大統領に就任した日です。
アキノ、ラモス両元大統領、ロサレス枢機卿らが参列した「エドサ革命20周年記念」のミサは、エドサ聖堂で午後1時すぎ無事終了したとのこと。 就任以来、毎年ミサに参列してきたアロヨ大統領は出席しなかったそうです。
国軍の指揮命令系統に乱れは出ておらず、クーデター計画は失敗に終わった、というにもかかわらず、『非常事態宣言』を発令したアロヨ大統領に対し、コリー(アキノ元大統領の愛称)はミサ終了後、「非常事態宣言は戒厳令同然だ」と現政権を非難したそうです。
アロヨ大統領辞任を訴えて2005年7月に辞任した元閣僚らも、「現政権の不正と圧政」を非難して、アロヨ大統領の「即時辞任」をと訴えているというし。
* * * * * * *
あ〜、またもや、フィリピンの危機。せっかく《フィリピンがイメージアップ》しようとしていた矢先に。
こういうニュースが全世界に向けて発信されるたびにフィリピンのイメージがダウンして、旅行者も減っちゃうんですよね。
実際、今日からフィリピンに行くはずだった人から24日の夜遅く、「取りやめになった」との連絡がありました。
これ以上、事態が悪化しなければいいのですが。
たしか、EDSA 革命の時は外務省から『渡航中止勧告』が発令されたのでは?(もしくはフィリピン行きの便がキャンセルされただけだったのか?)
実は当時、私は1週間後にフィリピン行きが決まっていたのです。ですからあの時はずっとテレビの前に釘付けでした。
日本の報道陣も現地入りし、実況中継をしていたことを覚えています。
この時、マルコス独裁政権崩壊をリポートした「フィリピン報道」で、キャスターの安藤優子さんが、ギャラクシー賞を受賞したのです。
マルコス一家国外脱出の約1週間後、民衆に初めて開放されたマラカニアンの庭に私はいました。
「無謀」だという声も周囲からはありましたが、怖いもの知らずの私は、たしか3月4日か5日には新政権下のフィリピンに足を踏み入れていたのでした。
左の写真は、その時にマラカニアンの前で買ったコリーカラーのTシャツです。
EDSA 革命20周年であることから、この Tシャツのことを思い出し、今週末のブログに載せようと思っていたので、実家の押入れの奥から引っぱりだしてきたものです。虫喰いもなく、20年間押入れで静かに眠っていました。
こちらの写真は、 EDSA 革命に参加した友人が写した生写真です。
いただいた何枚もの写真には、人・人・人で埋めつくされた EDSA が写っています。みんな、コリーカラーである黄色を身につけています。
EDSA 革命直後に出会った人たちは、長期間に渡る苦難、抑圧、不正、絶望の日々に終止符が打たれ、自由を勝ち取ったことで喜びに満ちあふれていました。
EDSA 革命で、コリーは大統領に就任しました。 この革命と勝利は、彼女の夫、NINOY(ニノイ)の愛称で国民に人気のあった BENIGUNO AQUINO (ベニグノ・アキノ)氏が暗殺されていなかったら、起こっていなかったかもしれません。
振返ってみれば、あっという間の20年でした。
当時のことを知らない方も多いことでしょう。ここで2冊の本を紹介しておきます。
インターネットもない時代、必死になって現地での事情を知ろうと読んだ、数少ない貴重な本です。
■ 暗殺の壁画
河出書房新社 ISBN: 4309003745 (1984/07)
著者は、現東京都知事 石原慎太郎氏
著者後記で、こう語っておられます。
「1983年8月21日、マニラ空港で暗殺された私の親友、ベ二グノ・アキノ元上院議員と私の交友に関して記したものである。私自身も政治に身を置くものだが、彼の暗殺ほど、政治の持つ残酷な不条理を身にしみて教えた出来事はない。」
■ コラソン・アキノ―闘い(ラバン)から愛(ラブ)へ
立風書房 ISBN: 4651700314 (1986/11)
著者: 若宮 清
著者、若宮清氏は、死をも覚悟して帰国したアキノ氏に同行し、結局暗殺の寸前まで機内で彼と共にしていたジャーナリストです。
EDSA 革命についてもっと知るには ▼
■フィリピン・インサイド・ニュース
■WIKIPEDIA (英文)
■フィリピン現地のサイト(英文)
・THE 1986 EDSA REVOLUTION WEBSITE
ページ左にメインページ、右にフラッシュムービーの表示があります。
是非、右のフラッシュムービーから入ってみてください。
・THE 1986 EDSA REVOLUTION WEBSITE
上記のメインページに直接アクセスします。
・PHILIPPINE EDSA REVOLUTION
アキノ氏暗殺から、マルコスをはじめ、EDSA 革命時の立役者が全員勢ぞろい
しています。
英文ではありますが、当時の緊迫感が伝わってきます。
2月23日、レイテ島の救援状況を気にしながら「クーデター計画発覚、将校14人を逮捕」というニュースの見出しには気がついていました。でもそれほど気には止めていませんでした。
2月24日、「エドサ革命20周年にあたって新たなピープルパワーによる暴動や反乱が懸念されることから全国で警戒態勢を敷いた。」
この記事の直後でした、アロヨ大統領が『非常事態宣言』を発令した、ということを知ったのは。
2月25日、CORAZON AQUINO (コラソン・アキノ)が大統領に就任した日です。
アキノ、ラモス両元大統領、ロサレス枢機卿らが参列した「エドサ革命20周年記念」のミサは、エドサ聖堂で午後1時すぎ無事終了したとのこと。 就任以来、毎年ミサに参列してきたアロヨ大統領は出席しなかったそうです。
国軍の指揮命令系統に乱れは出ておらず、クーデター計画は失敗に終わった、というにもかかわらず、『非常事態宣言』を発令したアロヨ大統領に対し、コリー(アキノ元大統領の愛称)はミサ終了後、「非常事態宣言は戒厳令同然だ」と現政権を非難したそうです。
アロヨ大統領辞任を訴えて2005年7月に辞任した元閣僚らも、「現政権の不正と圧政」を非難して、アロヨ大統領の「即時辞任」をと訴えているというし。
* * * * * * *
あ〜、またもや、フィリピンの危機。せっかく《フィリピンがイメージアップ》しようとしていた矢先に。
こういうニュースが全世界に向けて発信されるたびにフィリピンのイメージがダウンして、旅行者も減っちゃうんですよね。
実際、今日からフィリピンに行くはずだった人から24日の夜遅く、「取りやめになった」との連絡がありました。
これ以上、事態が悪化しなければいいのですが。
たしか、EDSA 革命の時は外務省から『渡航中止勧告』が発令されたのでは?(もしくはフィリピン行きの便がキャンセルされただけだったのか?)
実は当時、私は1週間後にフィリピン行きが決まっていたのです。ですからあの時はずっとテレビの前に釘付けでした。
日本の報道陣も現地入りし、実況中継をしていたことを覚えています。
この時、マルコス独裁政権崩壊をリポートした「フィリピン報道」で、キャスターの安藤優子さんが、ギャラクシー賞を受賞したのです。
マルコス一家国外脱出の約1週間後、民衆に初めて開放されたマラカニアンの庭に私はいました。「無謀」だという声も周囲からはありましたが、怖いもの知らずの私は、たしか3月4日か5日には新政権下のフィリピンに足を踏み入れていたのでした。
左の写真は、その時にマラカニアンの前で買ったコリーカラーのTシャツです。
EDSA 革命20周年であることから、この Tシャツのことを思い出し、今週末のブログに載せようと思っていたので、実家の押入れの奥から引っぱりだしてきたものです。虫喰いもなく、20年間押入れで静かに眠っていました。
こちらの写真は、 EDSA 革命に参加した友人が写した生写真です。いただいた何枚もの写真には、人・人・人で埋めつくされた EDSA が写っています。みんな、コリーカラーである黄色を身につけています。
EDSA 革命直後に出会った人たちは、長期間に渡る苦難、抑圧、不正、絶望の日々に終止符が打たれ、自由を勝ち取ったことで喜びに満ちあふれていました。
EDSA 革命で、コリーは大統領に就任しました。 この革命と勝利は、彼女の夫、NINOY(ニノイ)の愛称で国民に人気のあった BENIGUNO AQUINO (ベニグノ・アキノ)氏が暗殺されていなかったら、起こっていなかったかもしれません。
振返ってみれば、あっという間の20年でした。
当時のことを知らない方も多いことでしょう。ここで2冊の本を紹介しておきます。
インターネットもない時代、必死になって現地での事情を知ろうと読んだ、数少ない貴重な本です。
■ 暗殺の壁画河出書房新社 ISBN: 4309003745 (1984/07)
著者は、現東京都知事 石原慎太郎氏
著者後記で、こう語っておられます。
「1983年8月21日、マニラ空港で暗殺された私の親友、ベ二グノ・アキノ元上院議員と私の交友に関して記したものである。私自身も政治に身を置くものだが、彼の暗殺ほど、政治の持つ残酷な不条理を身にしみて教えた出来事はない。」
■ コラソン・アキノ―闘い(ラバン)から愛(ラブ)へ立風書房 ISBN: 4651700314 (1986/11)
著者: 若宮 清
著者、若宮清氏は、死をも覚悟して帰国したアキノ氏に同行し、結局暗殺の寸前まで機内で彼と共にしていたジャーナリストです。
EDSA 革命についてもっと知るには ▼
■フィリピン・インサイド・ニュース
■WIKIPEDIA (英文)
■フィリピン現地のサイト(英文)
・THE 1986 EDSA REVOLUTION WEBSITE
ページ左にメインページ、右にフラッシュムービーの表示があります。
是非、右のフラッシュムービーから入ってみてください。
・THE 1986 EDSA REVOLUTION WEBSITE
上記のメインページに直接アクセスします。
・PHILIPPINE EDSA REVOLUTION
アキノ氏暗殺から、マルコスをはじめ、EDSA 革命時の立役者が全員勢ぞろい
しています。
英文ではありますが、当時の緊迫感が伝わってきます。
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この記事へのコメント
好きなだけじゃなくて、ちゃんと歴史も知っておかなくちゃだめですよね・・
本当にるみさんのブログは勉強になります!!
本当にるみさんのブログは勉強になります!!
Posted by
ちか
at February 28, 2006 01:08






























