March 11, 2006

◇フィリピン、MANILA の”ニッポニーズ”って?

BOOK N.JOAQUIN
フィリピンの国民的作家》 で紹介した、 ニック・ホアキン著「物語 マニラの歴史」を読んでいます。

時間を見つけては少しずつ読み進めているので、かなりスローテンポです。
まだ第2部に入ったところですが、読み出すと予想以上の時間が経過してしまっていることに気づきます。

今日読んだ、第2部−2は「ニッポニーズ サン・ミゲル」というタイトルがついていました。
「ニッポニーズ?」 読み方のまま書くと、こうなるのですが、実はこれは漢字にふってあるルビです。
正確には、「日本人町 サン・ミゲル」というタイトルで、「日本人町」に「ニッポニーズ」とルビがふってありました。
ということは、当時は「ジャパニーズ」でも「ハポン」でもなく、その地域に限っては「ニッポニーズ」と呼ばれていたのでしょうねぇ。

サン・ミゲルは、DILAO(またはDILAW) 地区(ディラオ=黄色。黄色の染料になる植物の名にちなんで呼ばれた地名。日本人移民の居住地になってから更にふさわしい名になった)からフィリピンに居留する日本人へのキリスト教伝道活動における、ふたつの教団の管轄問題を避けるため、1618年に移った地。 1591年、イエズス会はディラオに日本人のためだけの特別の布教所を設け、1603年には、約500人の日本人居住者がいたといいます。

<えっ、1591年? ってことは、日本じゃ「関が原の戦い(1600年)」よりも前?>

そんな昔になぜ多くの日本人がマニラに移住していたの??? 
読みすすめていくと、わかってきました。
こんなくだりがあります。

− あらそいを避けるため、イエズス会は、自分たちの伝道師をディラオ地区から引き揚げさせた。 1618年のことだった。 このころ、「徳川幕府」のキリスト教弾圧から逃れるためマニラに避難してきた日本人はイエズス会の伝道師に引きずられるようにパシッグ河口南岸に住み着いた。

そして、なぜこの地が「サン・ミゲル」と名づけられたのか?
こう、続きます。

ー 避難してきた日本人の多くは武士だったので、移住者の中の武士をひきつけるには、軍人の守護聖人の名にあやかって教区を設けるのが名案と思われた。
だとしたら、炎の剣を手にした大天使ミカエルよりも栄光に満ちた立派な兵士がりうだろうか? こうして小教区はサン・ミゲル(〔ミカエル〕のスペイン語読み)として知られるようになった 
− 


この章は、当時マニラに移住した日本人の様子がまだまだ続きます。


近代以前にマニラに渡ったクリスチャンの日本人というと、高山右近くらいしか知りませんでした。 
思った以上に日本とフィリピンは、古くから繋がりがあったのだと、教えられました。

通常、この手の書籍は、いくら読んでも教科書めいていて、それにやたら難しい表現ばかりなのであまり内容は頭に残らないのですが、この本は文章がとてもわかりやすいのです。

完読してないのに無責任ではありますが、「面白い」です。
「楽しく読める」マニラの歴史です。

さて、この後どう展開してくのやら・・・。



BOOK MANILA ■物語 マニラの歴史 
 ニック・ホアキン著 宮本靖介監訳 橋本信彦、澤田公伸訳
 出版社: 明石書店 / ISBN: 4750322377




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この記事へのコメント
歴史が苦手な私でもよめますかねぇ?

でも、そんな感じでフィリピンに移住している日本人なのか、戦争でなのかはわかりませんが、マニラの日本大使館に行った時、順番待ちの列に並んでいたら、おばあさん2人にこの書類をタガログ語に訳して欲しいと言われました。きっと、この人達は日本人・・・
『ごめんなさい・・私日本人だから、タガログ語がわかりません・・』
というと、『アイッ!!』とかなりびっくりしていました。

門の前でもフィリピン人の何人もの門番に何度も何人か私だけ聞かれました!!(笑)
Posted by ちか at March 12, 2006 19:44
ちかちゃん、歴史は私も苦手ですが、大丈夫です。

もともとこの本は、「マニラに住む若者が楽しみながら読める易しい歴史の本」としてニック・ホアキンに執筆を依頼し、学校に配布されたものだそうです。

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私もよくフィリピン人と間違われます。
バンコックでフィリピン人にタガログ語で話しかけられたこともありました。(なんで?)
Posted by harana at March 13, 2006 10:49