October 24, 2006

◇フィリピン、MANILA(マニラ) の”ショール”

MANTON DE MANILA
manton de manila

★前回の《◇MANILA(マニラ)はフィリピンの首都ですが・・・》の続きです。

フィリピンの首都、マニラの名がつく「マニラフォルダー」、「マニラ封筒」、「マニラ麻」については、既に書きました。 
あと残るは、スペイン語で「マニラのショール」を意味する「MANTON DE MANILA(マントン・デ・マニラ)

スペイン、アンダルシア地方で盛んな「フラメンコ」の衣装の一部としても重要な役割を果たすマントン・デ・マニラ。 何故このショールにフィリピンの首都の名前がついているのでしょう?

歴史の時間に「ガレオン貿易」について習ったのを覚えていますか?
1571年(正式に認可されたのは1593年)〜1811年まで続いた、スペイン王室によるマニラ−アカプルコ間の貿易です。
アジア諸国からマニラに集められた品々がガレオン船に積まれてアメリカ大陸に運ばれ、さらにそこから大西洋を越えてヨーロッパに送られていました。

BOOK MANILA当ブログではおなじみの NICK JOAQUIN 著 ”MANILA, MY MANILA” の邦訳「物語 マニラの歴史」によると、ガレオン貿易が二つの大洋と三つの大陸を舞台に活躍していたため、当時のマニラは世界にその存在感を十分に示す都市であったといいます。
マニラ・ガレオン船はフィリピンの特産品を運ぶ事もできたでしょう。が、フィリピンでは生産していない贅沢品に需要が集中したため、ガレオン船が運んだものは、中国の陶磁器、翡翠、絹織物、香料、香木、インドの綿織物、モルッカ諸島のスパイス、ペルシャの絨毯、etc. etc. etc...
これらの極上品は、一旦マニラに運ばれて、アカプルコまで運ばれたのです。
アジアと西洋を結ぶ中継点としてマニラは東洋一の都市となったということです。

もうお気づきでしょうが、贅沢な刺繍をほどこした絹のショール、「マントン・デ・マニラ」は中国(南東部)で生産され、ガレオン船でアカプルコに送られるためマニラに集められたものだったのです。
ヨーロッパに渡ったショールは、フェミニンな女性の装いの一部として広まったようです(スペインではアンダルシア地方、特にセビージャ)。
もともとは中国で生産されたものであったとしても、「マニラからきたショール」、という意味で MANTON DE MANILA (マントン・デ・マニラ)と呼ばれるようになったというのがどうやら真相のようです。

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☆フィリピンを代表する画家 JUAN LUNA の作品にも MANTON DE MANILA が描かれています。こちらのサイトの一番上の絵がそれです。

☆ MANTON DE MANILA というタイトルのフィリピン民族舞踊があるようなのですが、こちらはまだ調査の必要があります。
Jota Paragua というフィリピンの民族舞踊は、MANTON DE MANILA を使って踊るらしいのですが、こちらももう少し調査してみます。
フラメンコのマントン色々


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註:上の写真を撮影させていただいた、フラメンコ教室 「ESTUDIO PRIMAVERA」のごとうけい子先生によると、フラメンコで使用するマントン・デ・マニラはもう少し大きく、小さなものは「マントンシージョ」と呼ぶとのこと。
上の写真のマントンは、「マントン・デ・マニラ」と「マントンシージョ」の中間くらいのサイズだそうです。


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この記事へのコメント
早速の続編,有り難うございます.
素晴らしいですね.資料を探って,膨大な時間をかけた話をサクっと書いて頂いて,申し訳ない気持ちで一杯です m(_ _)m
その昔,マニラが貿易の中継基地として栄えた話,よく理解できました.
Posted by cattle at October 24, 2006 02:58
haranaさんのブログは資料的価値のあるブログだとおもいます。

cattleさん
資料を探って,膨大な時間をかけた話をサクっと書いて頂いて,
 →時間をかけて調べた話ほど長く書いてしまう傾向がありますが、それを読みやすく書いているのは、とおりいっぺんではなく既にharanaさんにベースとなった知識があるからかと推察します。

P.S.今日はこれから出かけます。あらためて読ませていただきます〜。
Posted by meteortrain at October 24, 2006 08:30
☆cattle さん、
☆meteortrain さん、

いやー、そう言っていただけて嬉しいです。 
でもそんなたいそうなものじゃないですよー。
好き嫌いがはっきりしすぎてて、好きなこと、気になることはそればっかり集中してしまうだけで。
(興味ないことは、まったく無関心。)

今後も頑張りまっす。ヨロシク!
Posted by harana at October 24, 2006 09:34
ジャンクフードから歴史まで、幅広い話題でフィリピンの核心に迫るharanaさんの知識には脱帽です。
フィリピン人でもこういう歴史は、あまり知らないのではないでしょうか?
Posted by mota at October 24, 2006 23:05
こんにちは。
手前、まだまだ忙しく・・・
haranaさんのブログを分析しきれません・・・
すごいっすねー!
勉強になります。

下の記事内の「部分的な日本語」は、こちらでもケッコウみかけます。
『の』と『ン』と『ソ』と『リ』が中々微妙なハーモニーを奏でています。
Posted by chobebi at October 25, 2006 03:33
☆mota さん、
歴史以前にマントン・デ・マニラを知らないみたい。
P-フレンド達数人に、どこで買えるかきいたら、「それ何?」だって。

これからもハロハロな内容でいきますので、よろしくお願いします。


☆chobebi さん、
「分析」だなんて、さらっと流してください。
ところで、フィリピンは中国人が多いので、中華料理が美味しいですよ〜。
Posted by harana at October 25, 2006 07:30
るみさ〜〜ん!
大きく写真を載せてくださってありがとうございます〜〜!

だけど、勉強になりますね〜踊りならなんとか教えられますが、歴史は難しい・・
外来頭と使うのは苦手なんですよね〜^_^;
あと、以前のブログも読ませていただきましたが、おいしそうなドライマンゴーの紹介がありました〜!!

興味津々になりますね!

るみさん、文章作るのおじょうず〜〜
Posted by ごとうけい子 at October 28, 2006 21:42
☆ごとう先生、
こちらにもコメントありがとうございます。(お顔を載せられなかったのが残念。)
ブログ作りは思ったより楽ですが、踊りは思ったよりず〜っと難しいです。
足引っ張ってますが、長い目でみてやってください。

マンゴーの方にもコメントありがとうございます。 食べすぎにご注意を!

Posted by harana at October 29, 2006 15:39