January 25, 2008

◇フィリピンの城壁都市 ”INTRAMUROS”  − [ 廃墟  ]


san ignacio 1


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Plaza San Luis Complex で、しばらくコロニアル気分に浸ったあと、

General Luna 通りから Anda 通りを西へ進むと、Arzobispo 通りに

出る手前に、ピノイ達がバスケットボールに興じる一角があります。



san ignacio 2


その背後には、朽ち果てた建物が。



san ignacio 3

《 San Ignacio (サン・イグナシオ)教会跡 》


フィリピン人としては最初の建築家、 Felix Roxas によりデザインされた、ネオクラシックスタイルの教会。 イエズス会神父 Francisco Riera の監督の下、1878 - 1889年に建設される。 内装は、著名なフィリピン人彫刻家 Isabelo Tampingco とその弟子達による木工彫刻の装飾で有名であった。
1945年、Battle of Manila (マニラの戦い)により破壊される。 第二次世界大戦後は、オフィスや倉庫として使われていた。


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中を覗きながら壁に沿って歩いていると、

建物の角で、突然目の前に現れた光景に驚かされます。


san ignacio 4


この教会を建てた、イエズス会の聖職者の像なのでしょうか?

どの像も、憂いをおびた表情をしているように見えます。

イエズス会が弾圧・追放された当時の情景を表現しているのでしょうか?


あるいは、徹底的に破壊され廃墟となった教会の姿を哀しむものなのか?

マニラの戦いで日本軍が放った火により、すばらしい木工彫刻がほどこされた

インテリアは4日間に渡り燃え続け、灰と化したそうです。




san ignacio 5


廃墟とはいえ、コンサートや、夜間の場合はライトアップされて、

スペイン時代を髣髴させる演劇が催されたりと、現在では

イベント会場として、しばしば利用されているようです。


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= 参考 「Society of Jesus(イエズズ会)弾圧と復興」=

ヨーロッパ諸国がナショナリズムを強め、王権のもとに国をまとめていこうとしたとき、国境を越えて自由に活躍し、教皇への忠誠を誓うイエズス会の存在が目障りなものとなっていた。イエズス会への弾圧は18世紀になると急速に進み、ポルトガルがイエズス会員の国外追放を決めるとフランス、スペイン、ナポリ王国、両シチリア王国、パルマ公国もこれにならった。
スペインの支配下にあったフィリピンでも 1768年、イエズス会は国外追放されることになった。

1814年に教皇ピウス7世の小書簡『カトリケ・フィデイ』によってようやくイエズス会の復興が許可された。
1859年、イエズス会はフィリピンに戻り、再び活動を始めた。 サン・イグナシオ教会はその後建てられたものである。
復興後のイエズス会は急激な成長を遂げた。そのことは多くの学校が19世紀に設立されたという事実からもわかる。

現代では、6大陸の112カ国で活動する2万人の会員がいる。 これはカトリック教会の男子修道会としては最大のものである。 イエズス会員の主な活動は、高等教育と研究活動といった教育活動であり、宣教事業や社会正義事業と並んで活動の三本柱となっている。  世界各地にイエズス会の大学と高等教育機関があるが、現在この分野でもっとも活発なのは、インドとフィリピンAteneo de Manila University 他)であろう。


[参考文献]: WIKIPEDIA



《追記:左の2体の像の傍にはボードが写っていますが、気がつきませんでした。
 ここにこれらの像の由来が解説されているのかもしれません。
 どなたかボードに書かれた内容をご存知の方、ご一報ください。》