April 14, 2011

◇フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス)州、Taal (タール) の町へ [Vol. 5 Gregorio Agoncillo "White House" (1/2) ]


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[Vol. 4 Villavicencio Residence (2/2) ] の続きです。



次に訪れたのは、Gregorio Agoncillo Mansion、又の名を Gregorio Agoncillo "White House" というこれまた Taal を代表するオールドハウス。 名前の通り Don Gregorio Agoncillo (1877-1963) のお家です。 彼もまた対スペイン革命運動を支援する資産家でした。 ヤシ葺き屋根であった生家を、1920 年代にこのような (↓) "White House" に改築したそうです。 


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《 Gregorio Agoncillo Mansion 》


前庭に建てられた立派な像。 当然 Gregorio Agoncillo よね、と思っちゃいますが、ところがそうではなくて、この人は伯父の Don Felipe Agoncillo (1859-1941)、彼もこの家で生まれたそうです。 どうして Gregorio でなくて伯父さんの像が建てられてるの? という疑問が湧いてきます。 それは、多分彼がフィリピン史に残る著名人なので。 この一家のバックグラウンドは後にして、先に家の中の様子をどうぞ。



前回の Villavicencio Residence とは違い、こちらは外の階段 (↑の写真、右の部分) から二階のエントランスに上がるようになっています。

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エントランスを入ると、すぐに広い Sala (リビング/ホール)




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奥のスペースにはダイニングテーブル? Sala というより、リビング・ダイニングといったところでしょうか




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ヨーロッパ風の家具類は、1800年代〜1900年初頭に製作されたローカル品




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《 Gregorio Agoncillo 像 》


Gregorio 像の右奥に見えるのが、家の中央に位置する廊下。 一番奥のベッドルームまで続いていて、廊下の左右両側にも部屋があります。



ではまず、奥に向かって廊下の左側から


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ここもリビングの一部でしょうか? 

テーブルの上には国民的ゲームの Sungka (スンカ) が。






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隣の部屋とは扉でつながっているので、廊下に出でなくても行き来できます。 フィリピン建築の特徴のひとつですが、部屋と部屋を仕切る壁の上部は欄間になっているので、空気の通りもよくなります。





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お隣の部屋は、ちょっとした食器と・・・





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キャビネットと・・・


ここはキッチンというわけではないけれど、床の様子からすると何か水がこぼれたりする可能性がある部屋なのかな? プチキッチンというか、食卓の準備をする部屋とか。 (ちゃんと、聞いておけばよかった。)




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こちらのお家にも、意外なところに階段が。 二階にはキッチンが見当たらなかったので、この部屋の下にキッチンがあるのかも? (こちらのお家は二階だけで、一階は見学しませんでした。)




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プチキッチンもどきの部屋から廊下に出ると、向かいの部屋の壁を利用した男性用装身具のコーナーがありました。  お出かけ前に、ここで身支度を整えたのでしょうね。 スペイン文化が浸透していた当時の知識人、上流階級の男性は、きっとお洒落でダンディーであったにちがいありません。
 


ところで、1800年代初頭のTaal は、主な作物が綿であったことから織物の町でしたが、砂糖の需要が高まるにつれ、より多くの農地で砂糖キビが栽培されるようになりました。
まもなく Batangas の砂糖産業は、 "Taal sugar" として世界に知られ、Taal の町はマニラに次いで2番目に人口が多い町になりました。 町はとても豊かになり、アジアで最大となる教会 (参照 → ) を建設したのでした。

当時の Batangas には、大農園を所有したり、船舶事業を営む裕福なファミリーがいくつか存在していました。 特に際立っていたのは、Marella 家だといいます。 前回前々回 の投稿に登場した Gliceria Marella Villavicencio の実家です。 もちろん彼女の嫁ぎ先 Villavicencio 家も言うまでもありません。

今回登場した Agoncillo 家も、単に裕福な一家というだけでなく、フィリピン史に残る有名人を排出している一家です。 Gregorio の伯父 Felipe は、法律家であり、後にフィリピン人初の外交官となった人物です。  Felipe の妻は、こちらも名家 Mariño 家から嫁いだ Marcela Mariño Agoncillo (1860 - 1946)。 Felipe も又独立革命に加担していたことから、一時期家族と共に香港に亡命していました。 同時期に亡命中の Emilio Aguinaldo は、Felipe の妻 Marcela に自分が考案したフィリピン国旗を縫うように依頼し、彼女は娘の Lorenza と José Rizal の姪である Delfina Herbosa de Natividad と共に国旗を縫いあげました。 再び独立運動をするためにフィリピンに戻った Aguinaldo は、まもなく Cavite (カヴィテ) 州、Kawit (カウィット)の 自宅 で独立を宣言 (1898年6月12日)。 この時ベランダに掲げられたのが3人によって縫われた 「最初のフィリピン国旗」 でした。 フィリピンを代表する画家 Fernando Amorsolo は、国旗を縫う3人の女性を描いた作品 "The Making of the Philippine flag" を残しています。 また、UP Diliman 校のキャンパスでは、彫刻の "Three Women Weaving the Filipino Flag" いう作品を見ることができます。
1898年12月、米西戦争 を終結させた パリ条約 締結の際、Felipe は革命政府からフィリピンの全権大使としてワシントン、パリに派遣され、独立を得るための交渉に奮闘しました。 が、スペインは 2,000万ドルでフィリピンの管理権をアメリカに売り渡すという形で条約は締結されてしまい、独立を認めないアメリカとの間で 米比戦争 が始まるわけです。
その後も彼は政治家として、法律家として奮闘を続けました。

ちなみに Gregorio の妹 Maria は、Aguinaldo の二人目の妻です。 二人が結婚した時 (1930年)、Maria は 49才、Aguinaldo は 61才でした。




・・・ 続く ・・・




■■  TV 番組情報  ■■

・タイトル:アジア神秘紀行 「世界遺産に暮らす街 〜フィリピン・ビガン〜」
・番組内容:16世紀以降のスペイン統治下で商業、貿易の拠点として栄え
        たビガン。 その世界遺産に登録された街並みをクリソロゴ通り
        を中心に紹介する。
・放 送 局:BS朝日
・放 送 日:4月15日 (金)
・放送時間:21:00 - 21:54 PM




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