August 10, 2012

◇フィリピンのエッセンス香る英国人シェフの創作料理


Terrazas de Barako 11


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フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス)までランチに” の続きです。


自家栽培のオーガニック野菜を使ったお料理を提供する Terrazas de Barako は、予約制レストラン。 お料理も予約時にオーダーしておくシステムなので、当日調理されるのはお料理に応じて摘んだばかりの新鮮な野菜達。 
シェフはロイヤルファミリーにも仕えていた経験を持つ英国人女性。 クルーズ客船でのシェフを勤めたり、アジアにご自分のお店をオープンしたり、と海外での生活が長く、食に対して国際的な感覚を身につけた彼女のお料理は、国籍にとらわれないインターナショナルな創作料理。 ここではフィリピンならではの食材や調理法も、一皿一皿に上手く取り入れられています。

3品コース 1,000 ペソ、 4品コースが 1,500 ペソ。 お料理は、”ベジタリアン・メニュー”、”2012 サマー・メニュー" からコースに合わせて一品ずつチョイス。 
P-チャンの提案で、4品コース (アペタイザー、サラダ、メイン、デザート) を、3人だったのでそれぞれ3種類の違ったお料理をオーダーすることにしました。 





テーブルにつくと、まずパンが運ばれてきました。


Terrazas de Barako 12

《 Freshly baked home made bread with Malunggay butter 》

ホームメードのパンは3種類、その内の一つが、何かカリカリしたものが表面についていて特に美味しかったのですが、食べるのに夢中でその ”カリカリ” の正体を聞き忘れました。 
バターはヘルシーな Malunggay (マルンガイ=モリンガ) 入り。 普通のバターなら罪深い気がして量は控え目にしがちですが、これならたっぷりぬっても言い訳ができそう。 当ブログにも度々登場している "マルンガイ" は、別名ミラクルツリー。 フィリピンではヘルシーな植物の代表格です。 




* * * Drink * * *


Terrazas de Barako 13

《 Minted Calamansi Juice 》

食事中のドリンクは、”ミント入り Calamansi (カラマンシー=フィリピンレモン)ジュース” または ココナッツ・ウォーター ”Buko (ブコ) ジュース” が、

食後は、バタンガス名物 ”Barako (バラコ) コーヒー” または ”タラゴンのハーブティー” がチョイスできます。





* * * Appetizer * * *


Terrazas de Barako 14

Batangas Veggie Bruschetta 》

トーストしたホームメードのパンに、自家栽培の野菜とペコリーノチーズを散りばめたブルスケッタ。




Terrazas de Barako 15

《 Refreshing San Benito Tomato Soup 》

爽やかな、採りたてトマトのスープ





Terrazas de Barako 15

Moringa Creamed Pateros Balut

「ピントが合ってないぞー」 とお叱りを受ける前にお断りしておきます。(笑) 決して言い訳ではなく、意図的にピントをはずしたんです!(キッパリ) 何故なら、被写体となる食材が苦手なものですから・・・ (^_^; → 
じゃ、撮らなきゃいいんですけどね、でも記録として残しておきたかったので・・・

で、どんなお料理かというと、ベーコンと バロット(→ ) のソテー。 サツマイモチップが敷いてあり、マルンガイ入りのマッシュルームソースでいただきます。 

三人とも別々のお料理を注文したのですが、基本的にそれぞれのお料理はみんなでお味見することにしていました。 が、こればかりは無理。 注文した本人は、残りの二人に 「食べろ食べろ 」と勧めるのですが、誰も手を出そうとしません。(笑)  当の本人さえも片目をつぶってイヤイヤ食べてました。 よりによってこれを注文しなくても、他にもチョイスできたのに。(笑)




* * * Salad * * *


Terrazas de Barako 16

《 Salad Greens with Guimaras Mango Dressing 》

たっぷりの野菜に、マンゴ&バターミルクドレッシングをかけて。 






Terrazas de Barako 17

《 Batangas Tinapa Souffle 》

葉菜のベッドに Tinapa (ティナパ=燻製塩魚) のスフレをトッピング。 ビネグレット・ドレッシングで。





* * * Main Entree * * *


Terrazas de Barako 18

San Benito Grilled Chicken with Wild Rice 》

グリルしたチキン胸肉に、Longganisa (ロンガニーサ=フィリピンソーセージ)、アボカド、トマト、チーズを重ねて更に(多分オーブンで?)焼いたもの。 具の層が厚くてチキンが見えないくらい。 ワイルドライスとベジタブル・ケバブ添え。






Terrazas de Barako 19

Bukidnon Guava with Philippine Mushrooms and Olives 》

茸とオリーブを詰めて焼いたグァバ。 その下に敷いてあるのはレンズ豆、ガーリック、カボチャ。 野菜だけなのにボリュームのある一品。






Terrazas de Barako 20

San Benito Eggplant and Pinto Patty 》

茄子とうずら豆のパテはプラムソースで。 Camote (カモテ=サツマイモ)フライとブロッコリー添え。





* * * Dessert * * *


Terrazas de Barako 21

《 Hot Chocoloate Fudge with Chilli Ice Cream 》

ホットチョコファッジ&アイスクリームは、一番の人気デザートだとか。






Terrazas de Barako 22

Ube Mousse with Langka Sauce 》

Ube (ウベ=紅芋)ムース、Langka (ランカ=ジャックフルーツ)ソースで。





Terrazas de Barako 23

《 Grilled Banana Malunggay Crepes with Deep Forest Organic Honey

グリルしたバナナのクレープ、生地はマルンガイ入り。 森の オーガニックハニーをかけて。



* * *


Terrazas de Barako 24

《 英国人シェフ、Teresa Lobb 》

シェフからロイヤルファミリーに仕えていた頃のお話を伺っていて、多くの英国民がそうであるように、彼女も大の故ダイアナ妃ファンだということが伝わってきました。 日本では公になっているのかいないのか、シェフからお聞きしたダイアナ妃xチャールズ皇太子婚礼時のある情報には、P-ちゃん達も私ももうビックリ。 お料理だけでなく、シェフとの食後のおしゃべりもとても楽しく、Batangas までランチしに行った甲斐がありました。 
シェフ、そしてスタッフのみなさん、ご馳走様でした♪





Terrazas de Barako 25

カートで Hacienda 内を案内してくれるサービス付きです。 野菜栽培だけでなく、道端にはマンゴの実がなっていたり、ヤギや馬も飼育されていたり、確かダチョウもいたんじゃなかったかな。 住居用として分譲している土地もあり・・・、何しろ広大。 都会の生活に疲れたら、週末だけでも自然に囲まれたこういう土地で暮らしてみるのもいいかもしれません。


  ■ Terrazas de Barako (Facebook)
    Hacienda San Benito, 4217 Lipa City




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Posted by harana at 12:50Comments(2)

August 03, 2012

◇フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス) までランチに


Terrazas de Barako 1


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マニラ到着の翌日は、Batangas (バタンガス) 州の Lipa (リパ)City、 San Benito (サン・ベニート) までヘルシー・ランチしに行ってきました。♪ 
(初日のみ NAIA ターミナル 3 前の Resort World Manila に泊まったのはこのため。 少しでも南に近い方が時間短縮になると思って。)

「San Benito でヘルシー・ランチ」 というと、あの 世界屈指のメディカル&ヘルススパ・リゾートを想像されるかもしれませんが、ハズレです。 あちらは全くのベジタリアンメニューだと聞いていますが、今回お邪魔したのは、自家栽培の野菜料理が中心でありながらも、お肉やお魚も選べる完全予約制レストラン、"Terrazas de Barako"




Terrazas de Barako は、Hacienta San Benito という農園内にあります。


Terrazas de Barako 8

レストランのある建物






Terrazas de Barako 5

飛び石を渡って建物の中へ

ピンヒールの場合は要注意!(笑)






Terrazas de Barako 9

シンプルで落ち着いた雰囲気のダイニングルーム






Terrazas de Barako 6

一目で気に入ってしまったアンティーク風チェア







Terrazas de Barako 2

食事の前にテラスに出て、周囲の様子をチェック






Terrazas de Barako 3

思合わずシャッターを押したくなった CR(トイレ)






Terrazas de Barako 4

テラスの眼下には、オーガニックプール

ここのお水は飲めるそうです。






Terrazas de Barako 7

さて、テーブルに戻って、いよいよランチをいただきます。


で、肝心のお料理は・・・、次回までお待ちください。 m(_ _)m 



・・・ 続く ・・・







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Posted by harana at 09:52Comments(0)

May 02, 2011

◇フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス)州、Taal (タール) の町へ [Vol. 8 Market ]


taal market 01


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[Vol. 7 Parts ] の続きです。


Taal の町は、古い家屋ばかりが有名なわけではありません。



パブリックマーケットにも、この国を代表する有名なあるものが・・・


taal market 02

って、フツ―やん!?





いえいえ、メインのウエットマーケットの建物(↑)と道を隔てて


taal market 03

こんなお店がずら〜りと並んでおります。





taal market 04

Taal は刺繍でも有名な町。 ウエディングドレスや、Terno (テルノ)、Barong Tagalog (バロン・タガログ) などを販売するお店がパブリックマーケットに軒を連ねていて、店先でウェディングドレスを試着するP−ナを見かけたりします。  (メインの建物の一角にもこのようなお店が入っています。) 




barong tagalog

唯一写っていた Barong Tagalog (拡大したので、せっかくの刺繍があまり鮮明ではありませんが、ご勘弁を)



taal market 05

左のぶら下がっているのが Terno (女性用の正装のひとつ)。  どの衣服にも刺繍がふんだんにあしらわれています。 Barong Tagalog もドレスも、マニラで買うようずっと安いそうです。 Tall を訪れる機会があれば、是非一着いかが?






■■  TV 番組情報  ■■

・タイトル:世界の市場を行く <フィリピン・セブ島/カナダ・トロント>
・番組内容:世界じゅうの市場をめぐり歩く紀行シリーズ。
・放 送 局:BS ジャパン
・放 送 日:5月3日 (火)
・放送時間:05:45 - 06:00 AM



・タイトル:SONGS「シャリース」
・番組内容:以前に こちら で紹介した番組の再放送です。
・放 送 局:NHK総合1・大阪
・放 送 日:<再放送> 5月4日 (水)
・放送時間:00:55 - 01:25 AM



・タイトル:アジア神秘紀行 「世界遺産に暮らす街 〜フィリピン・ビガン〜」
・番組内容:16世紀以降のスペイン統治下で商業、貿易の拠点として栄え
        たビガン。 その世界遺産に登録された街並みをクリソロゴ通り
        を中心に紹介する。
・放 送 局:BS朝日1
・放 送 日:<再放送> 5月6日 (金)
・放送時間:21:00 - 21:54 PM






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April 25, 2011

◇フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス)州、Taal (タール) の町へ [Vol. 7 Parts ]


villavicencio 30


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[Vol. 6 Gregorio Agoncillo "White House" (2/2) ] の続きです。


オールドハウスには、インテリアばかりか、エクステリアにも興味深い趣きが。 アラベスクやフローラルモチーフが用いられたパーツ達を見つけるのも楽しみの一つです。



今回気になったのが、トップ写真にも写っているこれ


kichen
Villavicencio Residence のキッチンの窓から見える、まるで切り絵をつなげたような連続するフローラルパターン。  日よけのようです。  素材は・・・、メタル、多分。





dinning

トップ写真のキッチンから、ダイニングまで続いていました。





Villavicencio Residence ( [1][2] )でいい忘れていましたが、お隣にもう一軒 Villavicencio ファミリーの家屋が建っています。

wedding house

通称 Wedding Gift House。 Villavicencio 夫妻が結婚する際、夫 Eulalio が、妻 Glicelia に贈ったお家です。
 



wedding house 2

無数の電線が若干邪魔ですが (^ ^;
例の軒の通気孔 も、さっきの日よけも♪♪♪





iron work

窓のアイアンワークも独特の雰囲気!






Taal の町には、修復を待つ古びた家屋が少なくありません。


iron work 2

アラベスクのアイアンワークが施されたこちらのお家を通りかかった時、ここも修復予定だと地元の人から聞きました。 




上を見上げれば、

floral

やっぱりあった! 軒のフローラルモチーフ! 壁にも!   こちらの修復はもう終わったでしょうか?  次回訪れるのが楽しみです。





町をブラブラしていると、興味深い様々なパーツ達に出会えます。


post office

レトロなポストオフィス。 二階に注目!





post office b

味のあるベランダの柵もさることながら、こちらの壁にもフローラルモチーフ!






market

一見フツーのショップも、




market b

二階がユニーク! 住居スペースのようです。 これ以上アップできないけど、なにやら面白そうな装飾を施したエントランスです。




オールドハウスには、欄間や日よけ、通気孔のように暑い国ならではの工夫が施されています。 それらは単に実用性を追い求めるだけでなく、装飾としての役目も充分に果たしているようですね。




・・・ 続く ・・・




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Posted by harana at 12:59Comments(0)

April 19, 2011

◇フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス)州、Taal (タール) の町へ [Vol. 6 Gregorio Agoncillo "White House" (2/2) ]


agoncillo 30


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[Vol. 5 Gregorio Agoncillo "White House" (1/2) ] の続きです。




男性用装身具コーナー前の廊下から見学再開。


agoncillo 22

ここから奥にはベッドルームが二部屋。 どちらも白を基調とした明るい部屋です。




手前のベッドルーム

agoncillo 31

敬虔なクリスチャンらしい部屋ですが、マリア像が大きすぎて、私なら気になって眠れないかも・・・




奥のベッドルーム

agoncillo 24

こちらがメインのベッドルームのようです。



agoncillo 25

アンティークグラスコレクション



agoncillo 26

ドレッサーの扉に大きなミラーがはめ込まれています。 椅子には細かい細工が施されています。 すべてカスタムオーダーなんでしょうね。



* * *


廊下を来た方向に引き返しましょう。




プチキッチンもどきの部屋と廊下を隔てた真向かいには

agoncillo 27

ベッドルームがもう一部屋





agoncillo 28

さっきよりも更に大きくてゴージャスなミラー。 当時の裕福な暮らしぶりがうかがえます。

この部屋も隣の部屋と扉でつながっていて、壁の上部は欄間。



ベッドルームの扉を出ると、


agoncillo 29

Sala に戻ってきました。





agoncillo 21

《 Corazon Villavicencio Agoncillo 》


Gregoria の妻は Mariquita Villavicencio (1879-1950)、Eulalio & Gliceria Villavicencio 夫妻 の長女です。 
Gregorio は砂糖産業の近代化に貢献しましたが、保守的な性格で、妻が所有する Villavicencio 家の財産を基にした砂糖のベンチャー事業の勧誘を受けましたが、それに乗ることはなく、妻の財産を投資目的に使うことはありませんでした。 ベンチャー事業に誘った本人は、砂糖事業に失敗し、所有していた名門ファミリーの土地は銀行の競売にかけられてしました。 結果的に Gregorio は競売にかけられた土地をただ同然で購入し、それを受け継いだ娘の Corazon は、亡くなるまで Taal で最も裕福な女性であったということです。


・・・ 続く ・・・




■■  TV 番組情報  ■■

・タイトル:Amazing Voice 驚異の歌声
       「アジアの島々(2)グレース・ノノ」
・番組内容:グレース・ノノは1986年デビュー以来、国際的に活躍する
        フィリピンを代表するシンガーソングライター。 
        かつて欧米ポップスを歌っていたが、飽き足らずフィリピンの
        先住民やスペイン植民地時代の音楽を収集。   現代的に
        アレンジし、圧倒的歌唱力で歌う。
・放 送 局:NHK BS プレミアム
・放 送 日:<再放送> 4月20日 (水)
・放送時間:24:00 - 24:58 PM

*


・タイトル:世界の島々<フィジー・ビチレブ島/フィリピン・パラワン島>
・番組内容:自然と文化をテーマに、臨場感溢れる美しい映像で極上の旅
        を体感する、洗練された大人のための世界絶景シリーズ。
・放 送 局:BS ジャパン
・放 送 日:4月24日 (日)
・放送時間:16:30 - 17:20 PM





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Posted by harana at 10:36Comments(0)

April 14, 2011

◇フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス)州、Taal (タール) の町へ [Vol. 5 Gregorio Agoncillo "White House" (1/2) ]


agoncillo 01


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[Vol. 4 Villavicencio Residence (2/2) ] の続きです。



次に訪れたのは、Gregorio Agoncillo Mansion、又の名を Gregorio Agoncillo "White House" というこれまた Taal を代表するオールドハウス。 名前の通り Don Gregorio Agoncillo (1877-1963) のお家です。 彼もまた対スペイン革命運動を支援する資産家でした。 ヤシ葺き屋根であった生家を、1920 年代にこのような (↓) "White House" に改築したそうです。 


agoncillo 02

《 Gregorio Agoncillo Mansion 》


前庭に建てられた立派な像。 当然 Gregorio Agoncillo よね、と思っちゃいますが、ところがそうではなくて、この人は伯父の Don Felipe Agoncillo (1859-1941)、彼もこの家で生まれたそうです。 どうして Gregorio でなくて伯父さんの像が建てられてるの? という疑問が湧いてきます。 それは、多分彼がフィリピン史に残る著名人なので。 この一家のバックグラウンドは後にして、先に家の中の様子をどうぞ。



前回の Villavicencio Residence とは違い、こちらは外の階段 (↑の写真、右の部分) から二階のエントランスに上がるようになっています。

agoncillo 03

エントランスを入ると、すぐに広い Sala (リビング/ホール)




agoncillo 04


奥のスペースにはダイニングテーブル? Sala というより、リビング・ダイニングといったところでしょうか




agoncillo 05


ヨーロッパ風の家具類は、1800年代〜1900年初頭に製作されたローカル品




agoncillo 06

《 Gregorio Agoncillo 像 》


Gregorio 像の右奥に見えるのが、家の中央に位置する廊下。 一番奥のベッドルームまで続いていて、廊下の左右両側にも部屋があります。



ではまず、奥に向かって廊下の左側から


agoncillo 07

ここもリビングの一部でしょうか? 

テーブルの上には国民的ゲームの Sungka (スンカ) が。






agoncillo 08


隣の部屋とは扉でつながっているので、廊下に出でなくても行き来できます。 フィリピン建築の特徴のひとつですが、部屋と部屋を仕切る壁の上部は欄間になっているので、空気の通りもよくなります。





agoncillo 12

お隣の部屋は、ちょっとした食器と・・・





agoncillo 09

キャビネットと・・・


ここはキッチンというわけではないけれど、床の様子からすると何か水がこぼれたりする可能性がある部屋なのかな? プチキッチンというか、食卓の準備をする部屋とか。 (ちゃんと、聞いておけばよかった。)




agoncillo 10


こちらのお家にも、意外なところに階段が。 二階にはキッチンが見当たらなかったので、この部屋の下にキッチンがあるのかも? (こちらのお家は二階だけで、一階は見学しませんでした。)




agoncillo 11


プチキッチンもどきの部屋から廊下に出ると、向かいの部屋の壁を利用した男性用装身具のコーナーがありました。  お出かけ前に、ここで身支度を整えたのでしょうね。 スペイン文化が浸透していた当時の知識人、上流階級の男性は、きっとお洒落でダンディーであったにちがいありません。
 


ところで、1800年代初頭のTaal は、主な作物が綿であったことから織物の町でしたが、砂糖の需要が高まるにつれ、より多くの農地で砂糖キビが栽培されるようになりました。
まもなく Batangas の砂糖産業は、 "Taal sugar" として世界に知られ、Taal の町はマニラに次いで2番目に人口が多い町になりました。 町はとても豊かになり、アジアで最大となる教会 (参照 → ) を建設したのでした。

当時の Batangas には、大農園を所有したり、船舶事業を営む裕福なファミリーがいくつか存在していました。 特に際立っていたのは、Marella 家だといいます。 前回前々回 の投稿に登場した Gliceria Marella Villavicencio の実家です。 もちろん彼女の嫁ぎ先 Villavicencio 家も言うまでもありません。

今回登場した Agoncillo 家も、単に裕福な一家というだけでなく、フィリピン史に残る有名人を排出している一家です。 Gregorio の伯父 Felipe は、法律家であり、後にフィリピン人初の外交官となった人物です。  Felipe の妻は、こちらも名家 Mariño 家から嫁いだ Marcela Mariño Agoncillo (1860 - 1946)。 Felipe も又独立革命に加担していたことから、一時期家族と共に香港に亡命していました。 同時期に亡命中の Emilio Aguinaldo は、Felipe の妻 Marcela に自分が考案したフィリピン国旗を縫うように依頼し、彼女は娘の Lorenza と José Rizal の姪である Delfina Herbosa de Natividad と共に国旗を縫いあげました。 再び独立運動をするためにフィリピンに戻った Aguinaldo は、まもなく Cavite (カヴィテ) 州、Kawit (カウィット)の 自宅 で独立を宣言 (1898年6月12日)。 この時ベランダに掲げられたのが3人によって縫われた 「最初のフィリピン国旗」 でした。 フィリピンを代表する画家 Fernando Amorsolo は、国旗を縫う3人の女性を描いた作品 "The Making of the Philippine flag" を残しています。 また、UP Diliman 校のキャンパスでは、彫刻の "Three Women Weaving the Filipino Flag" いう作品を見ることができます。
1898年12月、米西戦争 を終結させた パリ条約 締結の際、Felipe は革命政府からフィリピンの全権大使としてワシントン、パリに派遣され、独立を得るための交渉に奮闘しました。 が、スペインは 2,000万ドルでフィリピンの管理権をアメリカに売り渡すという形で条約は締結されてしまい、独立を認めないアメリカとの間で 米比戦争 が始まるわけです。
その後も彼は政治家として、法律家として奮闘を続けました。

ちなみに Gregorio の妹 Maria は、Aguinaldo の二人目の妻です。 二人が結婚した時 (1930年)、Maria は 49才、Aguinaldo は 61才でした。




・・・ 続く ・・・




■■  TV 番組情報  ■■

・タイトル:アジア神秘紀行 「世界遺産に暮らす街 〜フィリピン・ビガン〜」
・番組内容:16世紀以降のスペイン統治下で商業、貿易の拠点として栄え
        たビガン。 その世界遺産に登録された街並みをクリソロゴ通り
        を中心に紹介する。
・放 送 局:BS朝日
・放 送 日:4月15日 (金)
・放送時間:21:00 - 21:54 PM




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April 04, 2011

◇フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス)州、Taal (タール) の町へ [Vol. 4 Villavicencio Residence (2/2) ]


villavicencio 21


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[Vol. 3 Villavicencio Residence (1/2) ] の続きです。



前回は、Villavicencio 家の階段を上って2階左側の様子を紹介しました。 今回は右側です。 

リビングルームのある階段左側は通りに面しているのに対し、右側は家の裏側にあたります。 こちらには、ダイニングルームとキッチンがありました。




villavicencio 22

ダイニングルーム





villavicencio 23

ダイニングルームの調度品





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キッチン
まるで Intramuros のCasa Manila にいるみたい! ただ、Banguera (バンゲーラこちらこちら 参照) は見当たらなかったような・・・。




villavicencio 25

洋酒のボトルがぎっしり! 





villavicencio 26

様々な色、形の Palayok (パラヨーク=土鍋)

右の手すりは階下 (↓ の写真) へと続く階段。 キッチンから一階へ下りられるようになっています。 




villavicencio 27

裏口を出るとガレージ、庭へと続きます。





villavicencio 28

ガレージに置かれていたクラシックカー

エンブレムの P L Y M ・・・の文字を頼りに検索したところ、 PLYMOUTH (クライスラーが1928年に開始したブランド)の DELUXE という機種みたい。 (画像検索してみると 1940-1950年頃生産されたもののようでした。)




villavicencio 29

庭に建てられた Glicelia Marcell Villavicencio のブロンズ像



革命運動を熱心に支援していた Villavicencio 夫妻には日頃からスペイン当局の監視の目が光っていました。 夫の Eulalio の Katipunan (カティプナン) 及び革命運動との関わりが明白になると、彼は反逆者として投獄されてしまいます。 夫の釈放と交換条件に、Katipunan に関する情報提供を要求された Glicelia ですが、彼女はそれを断固として拒否したそうです。 最終的には約一年後に Eulalio は釈放されますが、投獄が原因で3カ月後にこの世を去ります。

夫の死後も Glicelia は、船、武器、食糧、金銭等を供給し、革命軍への支援を続けました。 やがて 米西戦争 が勃発。 香港へ亡命していた Emilio Aguinaldo (エミリオ・アギナルド) は、アメリカ合衆国がフィリピンの独立に協力することを条件に帰国し、独立運動を再開します。  そして1898年6月12日、現 Cavite (カヴィテ) 州、Kawit (カウィット)の自宅 バルコニー でフィリピンの独立を宣言するわけです。

ところが、アメリカはフィリピンの独立を援助するためにスペインを破ったにも関わらず、パリ条約において2,000万ドルでフィリピンを購入し、独立を否定して自国の植民地にしようとしたことから、アメリカが新たな敵がとなります。
Gliceria は、新しい征服者との闘いにも積極的に支援を続けました。 アメリカ軍は彼女と家族を強制的にマニラに移し、厳しい監視下におき、タールの家を押収しました。 しかしその後、彼女の威信とタールの人たちが彼女に抱く強い尊敬の念を目の当たりにしたアメリカ軍は、一家をタールに戻すことを余儀なくされたということです。



・・・ 続く ・・・




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Posted by harana at 09:25Comments(0)

March 29, 2011

◇フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス)州、Taal (タール) の町へ [Vol. 3 Villavicencio Residence (1/2) ]


villavicencio 1


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[Vol. 2 Town Plaza ] の続きです。



昔ながらのフィリピンらしい建物が数多く残る町、Taal。 中にはどう見ても廃墟としか思えない朽ち果てたものもありますが、博物館になっていたり、修復して一般公開していたり、当時の生活様式を垣間見ることができる建物がいくつも現存しています。 それらは単に古いというだけでなく、この国の歴史の一端を担った貴重なランドマークでもあります。 


villavicencio 2





例えば、まず最初に訪れたこちらの

Gliceria Marella Villavicencio Residence



villavicencio 3


典型的な Bahay na bato (バハイ・ナ・バト=石造りの家)スタイルのこの家は、1898年6月12日 Emilio Aguinaldo がフィリピンの独立を宣言した際に、「革命軍の母」と称した Doña Gliceria Marella de Villavicencio (1852 - 1929) の住居。   彼女は夫 Don Eulalalio Villavicencio (1842 - 1898) と共にフィリピンの独立運動に共感し、革命組織を精神面でも金銭面でも支援したと言われています。 

Villavicencio 夫妻は、後にフィリピンの国民的英雄とされる José Rizal のプロパガンダ運動 (1880年代、Rizal 他スペイン在住の留学生を中心に行われた改革運動) にかなりの資金援助をしたばかりでなく、スペイン圧政下に苦しむ植民地フィリピンの様子が克明に描き出された Rizal の小説 『Noli Me Tangere (ノリ・メ・タンヘレ)』、 『El Filibusterismo (エル・フィリブステリスモ)』 が出版された際も、民衆に配布されるまでの間この家で保管するなどの支援を続けました。  また、革命家達の密会の場所としても住居を開放していました。 その密会に参加していたのは、スペインからの独立を目指す秘密結社 katipunan (カティプナン) を結成した Andres Bonifacio をはじめ、 Miguel MalvarFelipe Calderon といった歴史に名を残す革命運動家達であったということです。




* * *


では、家の中へどうぞ。



villavicencio 4

正面のエントランスを入ったところ


(ここにはテーブルや椅子が設置されていますが、本来、Bahay na bato では居住空間は二階に設けるのが一般的で、zaguan と呼ばれる一階のこの部分は馬車等の物置として使用されていたはずなので、これらの家具は一般公開するにあたり、ディスプレイとして置かれているのではないかと推測します。)




villavicencio 5

踊り場付の傾斜が急な階段を上り二階へ





villavicencio 6

階段を上ると左手は Sala (リビング) とベッドルーム。

広いリビングは、間に扉があり大、小、二部屋続き。




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訪問者がそれほど親しい間柄ではない場合は、手前の小さい方へ通され、




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親戚や親しい関係であれば奥の大きい方のメインリビングへ、というように使い分けられていたそうです。




villavicencio 8

通りに面したメインリビングを取り囲むように、大きな カピス窓 のある明るい廊下(?)が設けられています。 廊下というより、ベランダと呼ぶべきでしょうか?
 





villavicencio 11

メインリビングの壁に飾られたご夫妻のポートレートは、ヨーロッパの美術界でもその才能を高く評価されたフィリピン人画家 Juan Luna の作品。 






villavicencio 9

メインリビングとつながるふた間続きのベッドルーム。




villavicencio 10
ベッドルーム横の小スペース。 シエスタタイムを過ごすのにでも使われていたのでしょうか?  






今日のところはひとまずこの辺で。 

次回は階段を上がって右手の様子をご紹介します。




・・・ 続く ・・・




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Posted by harana at 10:11Comments(0)

March 04, 2011

◇フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス)州、Taal (タール) の町へ [Vol. 2 Town Plaza ]



calle g. punzalan


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[Vol. 1 Heritage Town ] の続きです。





Taal の町の中ほどには、


park


庁舎、公園、教会などが集まる広場があります。




escuela pia

《 Escuela Pia 》


こちらは、高台の教会へ続く階段の手前にある "Escuela Pia" と呼ばれる古い建物。 1853 年に聖アウグスチノ修道会によって建てられ、修道院として使われたり、聖母マリア像の一時的な安置場所であったり、また改修工事中の教会にかわってミサを行っていた場所が、後に青少年のための教育施設となった建物です。 
現在の建物は、1885年に建てられたものを Taal Arts and Culture Movement (「タール芸術文化運営協会」とでも訳すべき?)と National Historical Institute (「国立歴史研究所」?) が共同で修復、復元したものであるということです。 現在は町の文化センターとしての役目を担い、ウエディング会場として使用されることもあります。


escuela pia 3



* * *



Basilica de San Martin de Tours 1

《 Basilica de San Martin de Tours 》


タール公園を見下ろすように高台に建つ巨大なバロックスタイルの大聖堂 "Basilica de San Martin de Tours" 、その大きさはカトリック教会としてはアジア最大だと言われています。 ( 幅 45m、長さ96m )
ファサードの二本ずつ並ぶ柱は、下の部分は イオニア式、上の部分は コリント式 だそうです。




Basilica de San Martin de Tours 2



最初、San Martin de Tours を守護聖人に、町が制定されたのは 1575 年、現在の場所ではなく Lumang Taal (現 San Nicolas ) という、より Taal 湖 に近い地域でしたが、1754 年の Taal 火山 の噴火による被害で 1755 年現在の場所に移り、教会も再建が始められました。 

現在の建物自体は 1858 年に建設が始まり 1878 年に完成したものですが、 この場所に移ってからも、更なる Taal 火山の噴火、地震、台風などの被害に見舞われ、何度も建て替えと修復を余儀なくされてきています。





taal park

《 Taal Park を見下ろす Basilica de San Martin de Tours 》




・・・ 続く ・・・



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Posted by harana at 10:03Comments(0)

February 25, 2011

◇フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス)州、Taal (タール) の町へ [Vol. 1 Heritage Town ]


taal 1


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Tagaytay の絶景

tagaytay


を 素通りして

車は南へ






to taal


途中、中世のヨーロッパのお城(?)、砦(?)を模した様な

よくわからない建造物を通り過ぎ (右後ろにも注目!)



更に南下すると




taal 2


目的地である Heritage Town、

Taal (タール) の町に到着



ここはフィリピンらしい昔ながらの

古〜い建物が今なお数多く残る町





博物館として保全されている元住居ばかりか


taal 8

《 Marcela Mariaño de Agonchillo Museum and Monument 》






ほらほら


taal 6


ここにも






ほらここにも


taal 4


町中、カピスウインドウ だらけ!!!






taal 3


ホテルだってこの通り





次から次へと目の前に現われる

オールドハウスに狂喜していると、


えっ、あれは何?



taal 7


Kamias (カミアス) じゃない?

一緒にいたP-ナに Kamias を干している (?) 理由

を聞いたけど、 "I don't know" だそうです。



ま、いいっか。 それよりも散策続行が先!




・・・ 続く ・・・




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Posted by harana at 00:20Comments(2)