April 09, 2006

◇フィリピン "MANILA" のスパニッシュレストラン 〔1〕

PASTA NEGRA 
 HPの更新など、この週末はずっとPCの前で悪戦苦闘していたので、一歩も外に出ずじまい。 そろそろ冷蔵庫が食糧難の危機に迫っています。そんな時も強い味方は冷凍庫。 
スペイン料理、CARAMARE EN SU TINTA (イカの墨煮)のソースだけが(イカはほとんど無し)残っていたので、それを利用して今日のランチはパスタにしました。

 実はこのイカの墨煮は、マニラから持ち帰ったもの。大好物なので、時間的に余裕のある時は帰国する前日にオーダーして、帰国当日のランチタイムにピックアップに行きます。
時々当ブログに登場する、「フィリピン事情通、N氏」に連れて行ってもらって以来、”お気に入り”となったスペイン料理レストラン、CASA ARMAS のものです。

オーナーはスペイン人。本格的スペイン料理が味わえます。 
特にここのCARAMARE EN SU TINTA(イカの墨煮)、GAMBAS AL AJILLO(ガンバス・アル・アヒージョ=小エビのオイル煮)、PAELLA NEGRA(イカ墨のパエリャ)は絶品!

N氏もマニラに滞在中なら、一緒にMALATE(マラテ)の本店に行ったりしますが、私一人なら ORTIGAS (オルティガス)のPODIUM(ポジューム)支店で、ガンバスとイカの墨煮、パン、ドリンクは SAM MIGUEL LIGHT とグラスワインを一杯でディナーをすませます。
テイクアウトのイカの墨煮をオーダーするのもこのPODIUM(ポジューム)支店。 
MALATE(マラテ)の本店の方が、雰囲気もお味も格別なのですが、なにせ、PODIUM は常宿から近いものですから・・・・・。

あとMAKTI(マカティ)、Q.C.(ケソンシティー)にも支店があります。

  CASA ARMAS


       ==== CASA ARMAS ====

■MALATE : 573 J.NAKPIL ST. COR. J. BOCOBO ST., MALATE

■ORITIGAS : GROUND LEVEL, THE PODIUM, ORITIGAS CENTER,

■MAKATI : 132 JUPITER ST., BEL-AIR VILLAGE, MAKATI

■Q.C. : 284 TOMAS MORATO AV., COR. SCT. RALLOS, Q.C.

  

April 07, 2006

◇フィリピン ”オールド・ハウス”に見る工夫

フィリピンのオールドハウスには、興味深い生活の知恵が見うけられます。
先日書いたばかりの「格子状の窓、CAPIZ WINDOW (カピス・ウインドウ)」は言うまでもありません。

★さて、こちらはCASA MANILA (カサ・マニラ =イントラムロス内。スペイン統治時代の上流階級家庭の生活を再現した博物館)の台所です。

CASA1当時の台所用品が展示されています。
これだけならなんてことはないですが、注目したいのは窓の外

柵のようなものが見えます。
が、単なる柵ではありません、
《自然乾燥機》です。 
「はぁ?」 (答え↓)



★こちら(↓)はセブの CASA GORORDO MUSEUM (カサ・ゴロルド博物館)の同じく台所です。

CASA2この写真にはありませんが、本来は、柵の上部に洗ったコップをさかさまにかぶせて乾かす、というわけです。

おまけに底面は一枚板ではなく、スノコのようになっています。
水切りの役目も果たすし、お皿までたてかけられますね。



★もうひとつ CASA GORORDO MUSEUM から。(結構古い写真のなので、現在展示されていなかった場合は、ごめんなさい!)
さて、下の写真は何でしょう?

CASA3ヒント: 玄関を入ってすぐです。

どうやら、来客用のベンチのよう・・・。
下側面の中央に取っ手のようなものがついています。

取っ手 → 開閉できる → ってことは、物を入れるってことですね。
では、何を入れるのでしょう?

ヒント: 一枚板ではなくて、またもや柵のようですね。

来客が持参した(というか連れて来たというか)生きた「鶏」を一旦、この下に入れておくのだ、と館内スタッフのお兄さんが説明してくれました。
というわけで、”鳥かご(檻)”兼 ”ベンチ”でした。

他にも欄間(フィリピンバージョンですが)など、通気をよくするための工夫があちこちに施されています。 手持ちの写真がなくて、お見せできないのが残念です。

現地を訪れる機会があれば、是非上から下まで、隅々を見渡してみてください。


《注》: 基本的に博物館での写真撮影は禁止です。
CASA GORORDO は、関係者同行でしたので、フリーパスで撮影させてもらえました。
CASA MANILA は、館内の学生ガイドに、「ガイドはいかが?」と押し売りされたので(もちろんチップ目当てです)、すんなりOKしたふりして、お返しに、最後に無理やり(訂正:ちゃんとお願いして)撮影を承諾させちゃいました。(あまり好ましい方法ではありませんね。真似しないように!)

でも、特別なサービスに対する報酬、それが本来のチップですよね。 なんでもかんでも要求されるままに払ってちゃいけません。(日本人の悪い習慣です)
  

April 04, 2006

◇フィリピンの避暑地、BAGUIOのフライト事情

マニラの国内線出発ゲートは、BORACAY(ボラカイ)行きの乗客であふれんばかり。 
私の行き先は、「フィリピンの軽井沢」とも称される避暑地、BAGUIO(バギオ)。 
BORACAY 行きのフライトは次々と離陸していくのに、BAGUIO 行きは一向に出発の気配なし。 
BAGUIO までの飛行時間は約1時間。空港まで迎えにきてくれることになっている友人に「遅れそう」とテキストしたら(フィリピンではE-MAIL でなくGSM携帯電話番号間で送るメッセージはテキストメッセージ。 「メールする」ではなく、「テキストする」といいます)、「もう空港に向かって運転中」とのこと。結局、遅れること3時間近く。 

やっと着きました、BAGUIO です。
BAGUIO 1 ルソン島北部、標高1500mの高地にあるBAGUIOは、 山岳地方の中心都市。避暑地として、また 一時的に夏の間マニラ政府が移動するSUMMER CAPITAL(夏の首都) として知られています。
それからレタスなど、この地方の気候を利用して栽培されている高原野菜や、ストロベリーも有名。
(1990年、大規模な地震に見舞われるという悲劇も、まだ記憶にあたらしい事実です。)

DELAY のことなどすっかり忘れ、中心部から郊外まで、この涼しいBAGUIO で数日間の休日を過ごしたのでありました。

BAGUIO 2


          ■ □ ■ □ ■ □ ■

ところが、マニラへの帰りもまたトラブル!です。

到着時の遅れを気にして、ボーディングタイムまで一緒にいてくれた友人にバイバイ。
ボーディングゲイトからは、荷物を滑走路まで運ぶのが見える。
リヤカーみたいな台車に積んでゴロゴロと荷物が運ばれていく。
「ってことは、予定通り テイクオフね。」
と安心したのも束の間、また台車がゴロゴロと建物の中に戻っていく。
きっと、通り雨に荷物が濡れないように避難しているだけ、と楽観視していたら
突然のアナウンス、そう、欠航の。(え〜、一日往復とも一便しかないのに?)
急いでカウンターに行って、「今日中にまた便はあるの?」「それとも明日まで全くないの?」
「えっ、無い?」 あと一泊するのもいいけれど、ダメダメ、明日の便が飛ぶとは限らない。今夜あと2件のアポイントあり。やっぱり今日中にマニラに帰りつかなくては。

こういう事情に慣れたように突如現れるのは、マニラ行きワゴン車の乗客をつのるドライバー。 声をかけられてもそれを無視して、カウンターでチケットのリファンド手続きを終えたら、一目散にバスターミナルへ。

一番早いバスに飛び乗って、さあ覚悟の7時間です。
飛行機なら1時間ほどの距離ですが、マニラまで長距離バスでの所要時間は、途中休憩を入れて7−8時間。 
くねくねと山道を降り BAGUIO を後にしたのでした。
(飛行機は一日一往復ですが、バスは一日中何本もあるので、ご心配なく)


帰国後、フィリピン事情通のN氏に話したら、彼曰く、山岳地方バギオ−マニラ間の航路は天候が不安定で、結構遅延や欠航があるのだそうです。

《▼ここでちょっとしたアドバイス▼》

 ・帰国便への地方からのコネクティング・フライトは余裕を持って。
  できれば前日にはマニラに戻ることがオススメです。

 ・フィリピンを旅するなら− ジャケットは必需品。
  乗り物も、オフィスもエアコンは異常なほどガンガンにきいています。
  特に長距離バスには、これがないと風邪をひいちゃいますよ。
 
=============================================

SILVER 
 ■最後になりましたが、BAGUIO は銀細工の生産地としても名高いのです。
 バギオ・シルバーについてはまた詳しく書きたいので、今日のところはこの辺で。
 ご興味のある方は、こちらの → ショップHPをどうぞ!


          ■ □ ■ □ ■ □ ■


《追記/ 2006.04.05 》
プロ・フォトグラファー、望月宏信さんのブログ、Photos@Philippines (フィリピンを写真で紹介するブログ)も本日の投稿はバギオです。 
写真は、Photos@Philippines さんでお楽しみください!

これまでのスタイルであれば、連続して同テーマの写真を投稿されるので、ここ数日間でもっと写真が追加されるのではないでしょうか? 楽しみです。  

April 01, 2006

◇フィリピンのファブリック 〔2〕 - TINALAK

我が家のインテリアは、とっても《無機質》。
訪れた友人が、「生活感がなさ過ぎる」って驚いたほど。(早くいえば、あまり物がないだけ。)
フィリピングッズを扱っていて言うのもヘンだけど、あまりエスニック色が強すぎるものは好きではなくって、できればさりげなく、邪魔をしない程度に気にいったものだけをそばに置いておきたいと思っている。
それから、私はどうも原色が受けつけられない体質みたい。 
だから、AMANPULO (アマンプロ)のようなインテリアに憧れるのです。 だだっ広い空間のほんの隅の方に、自己を主張しすぎないワーキングデスクや機能的なソファーベッド・・・・・。

tinalak1と、言いながらも我が家で唯一の例外がバスルーム。(要するにトイレです)
何年も前に、かなり惚れ込んで買った手織り布、”TINALAK(ティナラック)”。 これだけ飾っても無機質な部屋には浮いてしまうので、行き場を失っていました。
で、思いついたのがバスルーム。ここだけは隔離されたスペースなので、大丈夫。

手前の木箱は、よく似たものがフィリピンにもありますが、これはバリ島製(念のため)。 ご近所のバリ島雑貨屋さんで購入しました、トイレットペーパー入れとして。(友人は「猫の棺桶」などと呼んでます。)
その上に立てた写真は、バンコックのスコータイホテルに宿泊した際に持ち帰った葉書。
・・・話が脱線しそうです。今日のテーマは TINALAKでした。

tinalak4ここに飾った TINALAK は、煉瓦色に近い、オレンジがかったピンクと、限りなく黒に近いダークブラウンの組み合わせ。 このカラーコンビネーションがお気に入りの理由です。

が、実はこの色は TINALAK としてはどうやら邪道らしいのです。

TINALAK ”TINALAK(ティナラック)”というのは、ミンダナオ島 T'boli (ティボリ)族に伝わる織物。 バナナに似た ABACA (アバカ)という植物から採った繊維を紡いで、染めて、織りにいたるまですべての工程は伝統的な手作業で行われます。
伝統的カラーは、限りなく黒に近い黒、白に近い白、赤に近い赤、これが原則なのだそうです。(邪道でもいいや、気に入ってるから)

T'boli 族のひとたちの間では、「アバカの精霊 FU DALU (フー・ダル)が 夢にあらわれると、よい作品ができる」 と信じられています。 
でも FU DALU は誰の夢にもあらわれるというわけでは ありません。
FU DALUがあらわれるのは、すべて昔ながらの伝統的な製造方法で、
伝統的な道具を使用している織り手の夢にだけ・・・・


tinalak3
★ これ以上は、ショップHPの内容と重複しすぎるのでここには書きませんが、興味のある方は、ショップの《エスニック系ファブリック》のページ にもどうぞ。








BOOK TINALAK★ そして、TINALAK に関する貴重な文献、Dreamweavers 。 
 この本に出会ったのは、丁度 TINALAK の仕入れを決めた時。 「こんな偶然があっていいの?」と自分の幸運を疑いました。
 (毎度のことで恐縮ですが、残念ながらまたこの本も現在 Amazon.com では買えないようです。)

 DREAMWEAVERS / Bookmark (2001)
 ISBN 9715694071





  

March 30, 2006

◇”フィリピン” を語ってほしくない日本人

今回のようなタイトルは、本来の当ブログの主旨から遠くかけ離れたものであり、不本意ではあるのですが、あえてこういうタイトルにします。

ついさっきまでは、大好きな カピスシェルについて書いた昨日の記事◇フィリピンのCAPIZ SHELL(カピス貝)に、めったにコメントをされないという ipi-p さんから多くのコメントもいただき、まだその嬉しさの余韻にひたりながら、次の記事の構想を練っていたのですが、偶然アクセスしたあるブログを見て、一挙に気分を害されてしまいました。 もう、「怒り心頭」プラス「呆れる」というか・・・。

最近、本当に「フィリピン料理」、「フィリピン食材」という言葉や、フィリピン料理名での検索でアクセスされる方が多いのです。
今日も ARROZ CALDO (アロス・カルド)で検索された方がおられ、こちらからは検索結果のページに飛ぶ事ができます。他の方の記事も勉強になるのでよく拝見しています。

BOOK
 このブログを始めてまだ間もない 2005年11月21日、《◇フィリピン家庭料理入門》という記事で写真の無断借用について書きました。 私の著作であるこの本の写真を無断使用している「フィリピン関連」のブログがあるというのは悲しいことだ、という記事でした。

たいていは指摘するか、出所を問い合わせると、素直に無断使用を認められるか、だまって削除されるかなのですが、今回見つけたブロガーはひどい!、呆れます。

「フィリピン料理」「お料理教室」などと題して、ご自分のブログに19件の料理記事を投稿されています。
そのうち、写真付きが11件、テキストだけのもの8件、
写真付き11件のうち、「フィリピン家庭料理入門」から写真を無断使用しているものが8件。

これだけでも、「目が点」状態なのに、驚きはこれからです。

19件のうち、1件の記事に読者からのコメントが投稿されていました。

 読者Lさん:「なんか フィリピン家庭料理入門をマル写しにしたみたいだけど‥‥」

 それに対する、管理人のコメント: 
 「Lさん、このページを見ただけでこの様なレスを残すのは失礼です。
  確かに参考にしていますが 丸写しではありません。
  ちゃんと自分で作って アレンジしてあります。
  入手し難いものもありますから。」

  (ひっ、ひっ、ひらきなおってるぅ〜)

 またもやLさん:「掲載許可を頂いたのですか? 原田さんの写真のようですが? オリジナルは掲載しないのですか? http://harana.livedoor.biz/archives/50184574.html」 
 と私の《◇フィリピン家庭料理入門》の記事の URL まで書いてくださってます。

 で、管理人の反応はどうかというと、全く無し!ということは無視してるって事よね。
 (この場を借りて、「Lさん、ご指摘ありがとうございました」)

 この管理人のプロフィールを見ると、
  「某自動車会社に25年間従事、退職後フィリピンを中心に事業を創める、
   妻はフィリピン人で娘が一人」
 
 テキストは、一文字でも違えばアレンジしてるって言われても仕方ない。
 この際、テキストは許そう、でも写真はどう説明すんのよぉ?
 フィリピン人の妻がいるなら、嫁に料理作ってもらって載せればいいじゃん!

 この人、愛知県在住らしい。で、某自動車会社っていうと、ふぅーん、多分有名な大会社なのでしょう。 そこに25年も勤務していたのなら、分別つくには充分すぎるほどの年齢のはず。
 こんな奴に大きな顔をしてフィリピンを語ってほしくない。!
 同じ日本人として、情けない!



 まだインターネットも無く、文献さえもままならなかった頃、苦労して原稿を書き上げ、料理も作り、やっと完成した一冊。 思い入れがあるだけに、こういう人をみると許せないのです。 つい愚痴ってしまいました・・・・・。
 (あー、言うだけ言ったらスッとした。
  失礼しました。 次回より前向きにブログを続けます。)

   

March 29, 2006

◇フィリピンの CAPIZ SHELL(カピス貝)

capiz tray
 当ブログの表サイトであるフィリピン・グッズのショップ用(フィリピニアナ・セレクトショップ・ハラナ)に到着したばかりの新製品は、フィリピン・グッズの中でも (私の勝手な)思い入れが深い CAPIZ SHELL(カピス貝)を素材にしたグッズの数々。


商品は、まもなくショップHPにアップする予定ですが、最近「カピス」というワード検索でのアクセスも多いので、雑貨としてだけでなく、本来の使用方法も一緒にひと足先にブログでご紹介しようと、昨日から構想を練っておりました。


もともとカピスは、フィリピンの伝統的建築には欠かせない素材のひとつ。カピスの特性である透明感を生かして、明かり採りのために『格子状の窓(CAPIZ WINDOW =カピス・ウインドウ)』にはめ込まれているのです。

capiz window1 capiz window2

 どの写真をアップしようかと、PCのマイピクチャを物色していたのですが、あまり鮮明に写っているものがありません。
 <写真左>: 
  セブ島 CASA GORORDO MUSEUM (カサ・ゴロルド博物館)

 <写真右>: 
  BATANGAS(バタンガス)のこじんまりした海辺のホテルの一室


すると、まぁ、なんという偶然!
当ブログにも、ショップHPでもリンクをはらせていただいている、マニラ在住のプロ・フォトグラファー、望月宏信さんのブログ、 ”Photos@Philippines ” の 最新記事(3月29日午前現在) 「ビガン 11」 に まさしくカピスウインドウが掲載されているではないですか!!!
世界遺産に認定されている、イロコス地方のノスタルジックな街、VIGAN (ビガン)を撮影されたものです。
この際私の素人写真は無視して、望月さんのサイトで是非是非、ノスタルジーにひたってみてください。


さてさて、新製品の方はというと、楽器をモチーフにしたジュエリーケース、ワインボトル用プレート、ナプキンリング・・・・。
同じものは、まだ日本には未入荷のはずですよ。 好御期待!

capiz items1  
capiz items2

(カピスアイテム:既存アイテムはこちら



          ★ ☆ ★ ☆ ★

▼カピス・ウィンドウが見学できる博物館▼

・マニラ 
 INTRAMUROS (イントラムロス=スペイン統治時代の城壁都市)内の
 CASA MANILA (カサ・マニラ博物館)

・セブ島 
 CASA GORORDO MUSEUM (カサ・ゴロルド博物館)



▼フィリピン建築、インテリアを知るには▼

BOOK A.HUOSE S ■Philippine Ancestral House (1810-1930) - Philippine Book

  この本、イラストも写真も、カピス・ウインドウだらけ
 《◇AMAZON で買えないフィリピンの本〔2〕》 もご参照ください。




book filipino style ■Filipino Style
 
《◇フィリピンのイメージ
》 をご参照ください。



book tropical living ■Tropical Living: Contemporary Dream Houses in the Philippines 

表紙の写真が変わったみたいです。 
(前の方が、よかったな・・・)

  

March 27, 2006

◇”ちょっと” 気になる フィリピンの習慣〔4〕 - 「名前」編

MAGNET1 例によって、それほどたいしたことではないのですが、前からちょっと気になっている、フィリピンの習慣がまだあります。
今回は、「名前」についてです。



■その1

*長年お世話になった年配の知人夫妻がいます。
この知人宅に住み込みで働くフィリピーノ。 彼は何でもこなすハウス・ボーイ兼オフィス・ボーイ。(いわゆる家でもオフィスでもこき使われている、雑用係です。)
家族のみんなが ”BOY(ボーイ)”と呼ぶと、家のどこからか走って現れます。
彼に会った当時、彼が "BOY(ボーイ)" と呼ばれるのは、彼がハウス・ボーイであり、オフィス・ボーイであるからだと思い込んでいました。
でも、"BOY(ボーイ)" というのが彼の名前だったのです・・・。

*また、この知人の娘の一人は、”BABY(ベイビー)”。
日本で、”BABY(ベイビー)”と呼ばれるシーンを想像してみると、アメリカ映画や歌詞の中、男性が恋人のことを呼ぶ、というイメージくらいです。(「ダーリン」とか「スウィート ハート」とか呼ぶのと同じように)

*それから、この知人の孫の一人は ”PRINCESS(プリンセス)”
そのまま訳すと「王女様」?!? それにしても、すごい名前をつけたものです。

”BOY”、 ”BABY”、 ”PRINCESS”、単なる名詞ではなくて、人の名前!
まぁ、世の中珍しい名前の人はいるよ、って勝手に思い込んでいたら、またしても大きな思い違いでした。
何度も渡比しているうちに、珍しいものではない、ということを知りました。
特に BOY, BABY には何人も出会いました。

こんな名詞が人名になってしまうなんて・・・、ややこしい。
ここでひとつ疑問です。『BABY(人名)が赤ちゃんだった頃〜、』を英語で言うと、”WHEN BABY WAS A BABY" ???



■その2

この知人には何人も息子がいて、一番下の息子は ANJUN と呼ばれています。この名前はニックネームらしく、本名は FLORENTINO だと彼の兄から聞いたことがありました。
ある時、彼らの両親(=私の知人夫婦)と同乗した車の中に、アタッシュケースが置いてありました。 アタッシュケースには "FLORENTINO"というステッカーが貼ってありました。

(ANJUN は同乗していないのに、ANJUN のアタッシュケース???)

「これ、ANJUN のアタッシュケース?」と尋ねたら、奥さんが「いいえ、彼(ご主人)のよ」という答え。

「FLORENTINO ってANJUN のことじゃないの?」という私の疑問にお2人は答えてくれました。 
フィリピンでは、(他の国もそうなのかな?)末の息子に父親と同じ名前をつけるのだそうです。そう、名前に "XX Jr.(ジュニア)"っていうのは、末息子なんですって。
ここでまた疑問。 その息子が一番下ってどうしてわかるの? 又息子が生まれたらどうするの? ということは、同じ名前をつけるのは、息子が生まれてすぐではなく、成人してからなのでしょうか?

【注釈】知人夫妻のご主人が FLORENTINO という名前も持っているとはは知りませんでした(多分クリスチャン名)。 華僑の方で、いつも中国名でしか呼ばれるのを聞いたことがなかったし、私も中国名で呼んでいたので。



前から時々思い出すと気にはなっていたのですが、確かめてみようというほどでもなく、また確かめることすら忘れていて現在に至っています。

  

March 23, 2006

◇たまにはいいかも、フィリピン MANILA のミュージアム・ショップ巡り

AYALA MUSAEUM 一昨年、リニューアルしてモダンになった AYALA MUSEUM(アヤラ博物館)
同じくリニューアルを続けている、周りの GREENBELT MALL(グリーンベルト・モール)ともうまく溶けあって、MAKATI (マカティ) のメインストリート、その名も MAKATI AVE. (マカティ・アベニュー)は、ますます華やかに。

外観のみならず、内部もすべて当世風板ガラスで統一された建物は、"MUSEUM"、"博物館" というお堅いイメージを脱し、一見ブティックが入居するファッションビル風ではあるけれど、AYALA 財閥の力をつくづく見せつけられてしまいますね。

有名な常設ジオラマは、フィリピンの紀元前の狩猟風景から、1946年の共和国宣言までの歴史を60もの立体模型で表したもの。
その他、フィリピンの国民的芸術家、Amorsolo や Zobel のコレクションなど、ミュージアム自体の内容については、オフィシャルサイトでどうぞ。 (日本語のこんなサイトもあります。)

館内のショップもすてたものではありません。他では買えないオリジナルグッズはもちろんですが、思いもよらない貴重なアイテムにお目にかかることがあります。
AYALAフィィリピン関連のハードカバーの書籍も充実していますが、こんな特殊な冊子にも出会えました。(写真左上)
FILIPINO LITURGICAL VESTMENTS
伝統的織物、PIÑA (ピーニャ)や ABACA(アバカ)にエンブロイダリー(刺繍)を施した、それは素晴らしいフィリピンならではの(司祭の)礼拝用衣装の数々が掲載されています。

(写真右下)は、
FILIPINIANA BOOK GUILD
フィリピンの文化的遺産の基であり、また一部であるというべき、絶版となったフィリピンについて執筆された本や印刷物を復元し、データ化したCD-ROM。
印刷自体、あまり良いコンディションではないものをそのまま復元しているので、ちょっと読み辛いけれど、デザインがノスタルジックで、雰囲気だけでも楽しめるので、私にとっては購入した価値有です。


           ★ ☆ ★ ☆ ★ 

T SHIRT 
 一方、マニラ湾を臨む ROXAS BLVD.(ロハス・ブールバード)の METROPOLITAN MUSEUM(メトロポリタン美術館)では、こんなTシャツを購入。
BENCH ブランドのTシャツは、ひとつだけ本物の手編みのレースがポイントです。(写真左下)

首元のバックプリントは、フィリピンレースの歴史が書いてあって、(写真右下)
 ”レース製作はスペイン統治時代に尼僧達によってもたらされたらしく、 云々・・・・・。”
囲むようにその上下には、レース模様のプリント。


 たまにはいいかもね、 ミュージアムショップ巡りも  

March 19, 2006

◇”ちょっと” 気になる フィリピンの習慣 〔3〕

MAGNET1
 前回の《”ちょっと” 気になる フィリピンの習慣》では、『』や『曜日』について書きました。
 まだいくつか ”ちょっと”気になる習慣があります。 
何度も言いますが、それほどたいしたことではないのです。 でも、ちょっと気になるのです・・・・。


■誕生日■

日本では、誰かがお誕生日であれば、周りの友人達が祝ってご馳走してくれたりしますが、何故かフィリピンでは、外で誕生日パーティーが行われると、そこのお勘定は誕生日をむかえる本人持ちです。

自宅でパーティーを催した場合、当然本人が食事も用意するので、自宅であろうが、レストランであろうが、同じと言えば同じではあるのですが・・・・。


 
■アイロン■
 
あるフィリピン人の友人から、『ジーンズにもアイロンをかける』、と聞きました。
そこまでする? って思っていたら、 また別の友人は、『下着にもアイロンをかける』といいます。
たまたまだろう、と思っていたら何度か同じような話を聞きました。

大家族だというのに、こんなことができるのも、メイドさんがいるからよね。
日本で家族全員の下着にまでアイロンをかけていたら、小さい子供がいる家庭の主婦は大変。子供がいれば、洗濯物の量だけでも多くって大変そうなのに。

 

■ナチュラル・ビューティー?■

フィリピンの女性には、鼻の下にヒゲ(いや、、むだ毛ですね)をはやしたままの人が結構います。 「うっすら」なんてものではなく、結構毛深いものです。(だから、つい「ヒゲ」と言いたくなってしまいます。)

彼女達いわく、「自然のまま」がよいとされているのだそうです。

顔だけならまだしも、腕などフィリピーナ(女性)たちはむだ毛処理はしません。
「足ならいいけど、腕はだめよ!」と日本人の私にまで、忠告します。
反対に、毛深い人をみると、「うらやましい」と言います。
なぜなら、「自然にはえたまま」の腕のむだ毛は、フィリピーノ(男性)の憧れ! 魅力的だそうで。
彼らは、「わぁー、”バルボン”(多毛の意味らしい)」と言って、腕を撫ぜたがります。 その手触りが、なんともいえないのだとか。


セブ島だったか、ビーチリゾートを紹介しているパンフレットの表紙をみて、引いてしまったことがあります。
ジェットスキーにまたがった、二人のフィリピーナ。
そのうちに一人の足にはスネ毛が、ボォ〜。 濡れているので、これまたはっきり目立っちゃって。


これって、ナチュラル・ビューティー?

【注:日本在住のフィリピーナの場合】
 ウン十万円も払って、せっせと脱毛エステに通っている、という知り合いのフィリピーナもいます。

  

March 14, 2006

◇フィリピン と "豊臣秀吉"の関係 − 『えっ、教科書で習った?』

BOOK N.JOAQUIN2 
 しつこいようですが、NICK JOAQUIN(ニック・ホアキン)著、「物語 マニラの歴史」についてもう少し。

 週末はフィリピンからショップ用(FILIPINIANA SELECT SHOP HARANA − フィリピン・グッズのネットショップです。) の新製品が届いたりで忙しく、読書に費やす時間はあまりありませんでしたが、少しだけ先に進むとまた「日本」とのかかわりについて書かれていました。

以下、引用します。

* * * * * * *
 〜 1591年、日本の覇者 、豊臣秀吉が、フィリピンは日本帝国の領土の一部であるから、マニラ総督府は秀吉を君主として認めよと要求している、という風聞が流れた。 マニラ政庁が結集できる海軍より強力な海軍を、日本の覇者が派遣できることを、マニラ政庁は承知していた。 そこで、マニラ政庁は和平のための使節団を派遣することを決めた。 〜 

* * * * * * *
ドミニコ会の修道士が、秀吉との和平交渉のため日本に送られ、両人は最終的に友情関係を確認しあい、これでマニラ政庁が日本から侵攻を受ける恐れはなくなった、ということです。

え、秀吉って、あの秀吉? 
マニラとかかわりがあった?

この歴史的事実って、私達の教科書に載ってましたっけ?
習っただけで、忘れているのでしょうか?

「マニラの交易船が日本へ入港するための許可を勝ち取った」、というのですから、
やはり教科書には記述されていたのかも・・・・。


まだまだ先が長い「物語 マニラの歴史」。

この先が気になるところですが、またもや今、もうひとつ荷物が届きました。
これから荷ほどきです。

今日のところは、この辺で。
  

March 11, 2006

◇フィリピン、MANILA の”ニッポニーズ”って?

BOOK N.JOAQUIN
フィリピンの国民的作家》 で紹介した、 ニック・ホアキン著「物語 マニラの歴史」を読んでいます。

時間を見つけては少しずつ読み進めているので、かなりスローテンポです。
まだ第2部に入ったところですが、読み出すと予想以上の時間が経過してしまっていることに気づきます。

今日読んだ、第2部−2は「ニッポニーズ サン・ミゲル」というタイトルがついていました。
「ニッポニーズ?」 読み方のまま書くと、こうなるのですが、実はこれは漢字にふってあるルビです。
正確には、「日本人町 サン・ミゲル」というタイトルで、「日本人町」に「ニッポニーズ」とルビがふってありました。
ということは、当時は「ジャパニーズ」でも「ハポン」でもなく、その地域に限っては「ニッポニーズ」と呼ばれていたのでしょうねぇ。

サン・ミゲルは、DILAO(またはDILAW) 地区(ディラオ=黄色。黄色の染料になる植物の名にちなんで呼ばれた地名。日本人移民の居住地になってから更にふさわしい名になった)からフィリピンに居留する日本人へのキリスト教伝道活動における、ふたつの教団の管轄問題を避けるため、1618年に移った地。 1591年、イエズス会はディラオに日本人のためだけの特別の布教所を設け、1603年には、約500人の日本人居住者がいたといいます。

<えっ、1591年? ってことは、日本じゃ「関が原の戦い(1600年)」よりも前?>

そんな昔になぜ多くの日本人がマニラに移住していたの??? 
読みすすめていくと、わかってきました。
こんなくだりがあります。

− あらそいを避けるため、イエズス会は、自分たちの伝道師をディラオ地区から引き揚げさせた。 1618年のことだった。 このころ、「徳川幕府」のキリスト教弾圧から逃れるためマニラに避難してきた日本人はイエズス会の伝道師に引きずられるようにパシッグ河口南岸に住み着いた。

そして、なぜこの地が「サン・ミゲル」と名づけられたのか?
こう、続きます。

ー 避難してきた日本人の多くは武士だったので、移住者の中の武士をひきつけるには、軍人の守護聖人の名にあやかって教区を設けるのが名案と思われた。
だとしたら、炎の剣を手にした大天使ミカエルよりも栄光に満ちた立派な兵士がりうだろうか? こうして小教区はサン・ミゲル(〔ミカエル〕のスペイン語読み)として知られるようになった 
− 


この章は、当時マニラに移住した日本人の様子がまだまだ続きます。


近代以前にマニラに渡ったクリスチャンの日本人というと、高山右近くらいしか知りませんでした。 
思った以上に日本とフィリピンは、古くから繋がりがあったのだと、教えられました。

通常、この手の書籍は、いくら読んでも教科書めいていて、それにやたら難しい表現ばかりなのであまり内容は頭に残らないのですが、この本は文章がとてもわかりやすいのです。

完読してないのに無責任ではありますが、「面白い」です。
「楽しく読める」マニラの歴史です。

さて、この後どう展開してくのやら・・・。



BOOK MANILA ■物語 マニラの歴史 
 ニック・ホアキン著 宮本靖介監訳 橋本信彦、澤田公伸訳
 出版社: 明石書店 / ISBN: 4750322377


  

March 08, 2006

◇フィリピンのソーセージ

LONGANIZA 1 LONGANIZA,
 LONGANISA,
 LONGGANISA,
 LANGONISA・・・、

スペルミスではありません。 
どれも、フィリピンソーセージ、”ロンガニーサ”。



ロンガニーサ”には、いくつもの作り方があると言います。
甘いものや、スパイシーなもの、地方によっても味が違います。
ポークミート、みじん切りガーリック、挽きたてのブラックペッパー、塩、そして『酢』等をベースに、砂糖を加えたり、ATSUETE (アツエテ=木の実。色づけに使用)でオレンジっぽく色をつけたり。
細長いもの、短くて丸っぽいもの、形も様々。


LONGANIZA 2 LONGANIZA 3


フィリピンの料理法には、「煮てから、焼く」という方法があります。
フィリピン料理の代表選手、ADOBO(アドボ)もポークやチキンのアドボは、先に煮て、その後で肉から出た油で表面を焼くことがあります。


ロンガニーサもこの方法を利用するのがコツ。
フライパンに浅くはった水を沸騰させ、ロンガニーサを加えたら、フォークで表面に穴をあけます。 こうすれば、ケースとなっている表面の腸が爆発しません。そして火の通りも早くなります。

水分がなくなってきたら、ロンガニーサ自体から出たオイルで、(足らなければオイルを足して)表面を焼きます。


LONGSILOG.L
焼きあがったロンガニーサに、ガーリック入りフライドライス(SINANGAG=シナガグ)と、目玉焼き(ITLOG=イトログ/卵)を添えれば、フィリピンの定番、朝食セットメニューの LONGASILOG(ロンガシログ)の出来上がり。






  
            ■ □ ■ □ ■

★最後に、フィリピンにはもうひとつ、CHORIZO DE BILBAO(チョリソー・デ・ビルバオ)という、ソーセージがあります。
 BILBAO という名がついていますが、 スペインの BILBAO のチョリソーというわけではないようです。
 かなりオイリーなので、パエリャ、POCHERO(ポチェロ)、COCIDO(コシド)といった、スペイン風料理の味付け用に使われます。


  

March 06, 2006

◇フィリピン・ペソの動き

 日ごろメールのやり取りをしているフィリピン人の友人から、昨夜こんなメールがありました。
peso
『とっても驚いています。
 こちらでは今、政治的問題に直面しているという情勢であるにもかかわらず、PESO 高になってきています。
 信じられませんが、過去4日間でペソが強くなりました。
 今日(3月5日)の米ドルに対する為替レートは、過去6年間ではベストのP51.25 です。』


ちなみに、本日(3/6)10:33 A.M. 現在の外国為替相場(スポットレート)をみてみると、

・USD (米ドル) = TTS ¥117.57 (円高に戻ってきました)
・PHP (フィリピン・ペソ) = TTS ¥2.44 (確かにペソ高になっています)


企業のサインボード、店内のポップ、リーフレットなどを製作する会社を経営してい彼女は、こう付け加えています。
「このことが理由なんでしょう、わが社がこれだけ忙しいのは。 スタッフは、このところ残業続きで日曜日も休めない状態です。」

いつも感じることですが、フィリピンでは外食産業が本当に繁盛しています。言い換えれば、外食産業のみが繁盛しているのかもしれません。

彼女の主なクライアントは、大手の有名外食チェーン店。 その中の、何店舗もブランチを所有するある1社が新メニューに切り替えるそうで、それに合わせて印刷、設置に大忙しなのだそうです。
外食産業そのものでなくても、外食産業にかかわる事業をしていると、必然的に同じように繁盛する、というわけですね。


一方ではペソ高進行はフィリピン経済に悪影響を及ぼすとの懸念もあり、また、非常事態宣言は解除されたものの、発令された直後は、フィリピン派遣米軍が一部フィリピン国軍部隊の不穏な動きをけん制するためか、首都圏周辺に集中配置されていたということが判明したということです。
その上、米軍はクラーク旧米空軍基地内に司令本部を設置し、公表されたミンダナオ地方南西部スルー州だけでなく、首都圏周辺各地で空中戦闘、大規模実射、都市型戦闘、上陸作戦などの訓練を繰り広げ、移動訓練を名目とした比再駐留の進ちょくぶりをみせつけたといいます。(日刊まにら新聞

いずれにせよ、ますますフィリピンから目を離すことができません。
  

March 05, 2006

◇フィリピン・グッズ で ヤフオクに挑戦

 当ブログは、フィリピン・グッズのネットショップ、《FILIPINIANA SELECT SHOP HARANA (フィリピニアナ・セレクトショップ・ハラナ)》のサブサイトです。

今日は、少しショップの ◆◆ お知らせ ◆◆を。

 ショップ用の商品は、すべてフィリピンからの直輸入です。 
国内仕入れであれば、ある程度は業者さんを信じて検品も手をゆるめられるでしょうが、当店の場合は、すべてチェックしなければなりません。

残念ながら、「品質」についての認識がフィリピン人と日本人の間には温度差があるので、どうしても入荷した商品のいくつかはショップで販売するには不合格となるものが出てきてしまいます。
とはいえ、せっかく海を越えてやってきたのですから、破棄処分してしまうのはかわいそう、っていうものもあります。

そこで、いわゆる《B品》と呼ばれる規格外品、およびサンプル品、ハンパ物等をヤフー・オークションに出品することにしました。

オークション未経験者なので、ここ数日勉強しました。
テスト的に出品もしました。
そして今日やっと、フィリピン・グッズを出品してみました。

 ▼初めてのフィリピン・グッズ出品は、こんなアイテムです。

   AUCTION COCOBAG

 ■ココナッツの樹皮でできたバッグです。ココナッツの殻や貝のパーツが
  アクセントになっています。
  自然のままなので、その自然の模様が「シミ」や「ヨゴレ」に見えて
  しまうんです。
  残念ですが、ショップでの販売はあきらめました。

近いうちに、JUSI(フーシ)や PINA(ピーニャ)の小物のサンプル品も出品してみようと思っています。


   ▼お時間があれば、オークションも覗いてみてください。▼
 
   マイ・オークションをごらんください

  

March 02, 2006

◇フィリピンのイメージ〔2〕

 先月は「テレビ番組収録中の事故」、「レイテ島の地滑り災害」、「非常事態宣言」・・・と、よくない事件続きで、せっかく《イメージアップしちゃったフィリピン》なのに、『またイメージダウンになる』って前回の記事でぼやきました。

でも、やっぱり「フィリピンはイメージアップ」しちゃうのです

今日、偶然にとってもステキなブログにたどり着きました。
あまりにステキなので、一気に全ページをクリックしてしまいました。
マニラに移住された、プロのフォトグラファーの方のブログです。

まだ始められてひと月くらいのようです。
素敵な写真ばかりで、「フィリピン」と知らずに写真だけをみたら、「フィリピン」と気づかない人も多いはず。

「こんなブログがあれば、絶対にフィリピンのイメージアップになる」と確信し、さっそくコメントに『リンクさせていただきたい』、とお願いしたところ、快くOKしてくださいました。


当ブログは、できるだけ毎回写真を掲載することをモットーとしているのですが、今回はあえてやめておきます。

▼それより、これからご紹介するブログを覗いてみてください。
 (プロの方のブログを紹介するのに、私の写真がジャマするといけません)


コマーシャルフォトの第一線で活躍する《望月宏信さん》のブログ
 Photos@Philippines 写真と海外生活

 フィリピンの素敵な写真がいっぱい、そしてうれしいのは、
 被写体となっているのは、私の好きなものばかり。
 − リゾート、
 − 教会、
 − INTRAMUROS (イントラムロス=スペイン統治時代の城壁都市)、
 − VIGAN (ビガン=スペイン風の町並みが残るイロコス地方の町)、
 

当ブログへのアクセスは、「フィリピン、イメージ、写真」という言葉での検索で来られる方が結構多いので、そういう方たちがこのページを見つけてくださることを祈ります。
  

February 28, 2006

◇フィリピン地滑り災害 被害者のための義援金について 〔2〕

 先週末に《◇フィリピン地滑り災害 被害者のための義援金について》お知らせをしました。

この記事を見てくださった”ちかさん”は、さっそくご自分のブログ「いつもリゾート」でも義援金協力を呼びかけてくださいました
ちかさんが言われるように、あの時点では、集まっている義援金の額は非常に低いものでした。
しかし、ついさっきイーバンクのHPを見ると、先週末にはたった数人だった募金総件数と、義援金約¥80,000 弱だったのが、2月27日午前9時30分現在で、

  募金総件数 : 955件 / 義援金総額 : ¥1,262,227

となっていました。

イーバンクに口座をお持ちであれば、実に簡単に募金ができます。
イーバンクのHP『フィリピン地滑り災害 被害者のための義援金について』にアクセスすると、義援金受付口座の詳細が記載されていますが、『イーバンク口座をお持ちの方はこちらをクリックしてお振込いただくことも可能です』というところがあるので、そこをクリックするとご自分の口座から、自動的に義援金受付口座に振り込まれるようになっています。(もちろん、パスワード入力は必要です)

もちろん、口座をお持ちでない方でも募金可能です。


この呼びかけに、ひとりでも多くの方が賛同してくだされば、ブログを始めた甲斐があったと、うれしく思います。


詳細はイーバンクのHP、『フィリピン地滑り災害 被害者のための義援金について』をご覧ください。

  

February 26, 2006

◇フィリピンの黄色い Tシャツの想い出

 「テレビ番組収録中の事故」、「レイテ島の地滑り災害」と今月になってからよくない事件続きのフィリピンですが、『そうだ、そろそろEDSA 革命の日、一滴の血も流さずに独裁政権から民衆が自由を勝ち取った、あの PEOPLE'S POWER からもう今年で20年なんだ、週末のブログ記事はこれでいこう』と思っていた矢先のできごとでした。

2月23日、レイテ島の救援状況を気にしながら「クーデター計画発覚、将校14人を逮捕」というニュースの見出しには気がついていました。でもそれほど気には止めていませんでした。

2月24日、「エドサ革命20周年にあたって新たなピープルパワーによる暴動や反乱が懸念されることから全国で警戒態勢を敷いた。」
この記事の直後でした、アロヨ大統領が『非常事態宣言』を発令した、ということを知ったのは。

2月25日、CORAZON AQUINO (コラソン・アキノ)が大統領に就任した日です。
アキノ、ラモス両元大統領、ロサレス枢機卿らが参列した「エドサ革命20周年記念」のミサは、エドサ聖堂で午後1時すぎ無事終了したとのこと。 就任以来、毎年ミサに参列してきたアロヨ大統領は出席しなかったそうです。

国軍の指揮命令系統に乱れは出ておらず、クーデター計画は失敗に終わった、というにもかかわらず、『非常事態宣言』を発令したアロヨ大統領に対し、コリー(アキノ元大統領の愛称)はミサ終了後、「非常事態宣言は戒厳令同然だ」と現政権を非難したそうです。
アロヨ大統領辞任を訴えて2005年7月に辞任した元閣僚らも、「現政権の不正と圧政」を非難して、アロヨ大統領の「即時辞任」をと訴えているというし。

              * * * * * * *



あ〜、またもや、フィリピンの危機。せっかく《フィリピンがイメージアップ》しようとしていた矢先に。  
こういうニュースが全世界に向けて発信されるたびにフィリピンのイメージがダウンして、旅行者も減っちゃうんですよね。
実際、今日からフィリピンに行くはずだった人から24日の夜遅く、「取りやめになった」との連絡がありました。

これ以上、事態が悪化しなければいいのですが。


たしか、EDSA 革命の時は外務省から『渡航中止勧告』が発令されたのでは?(もしくはフィリピン行きの便がキャンセルされただけだったのか?)
実は当時、私は1週間後にフィリピン行きが決まっていたのです。ですからあの時はずっとテレビの前に釘付けでした。
日本の報道陣も現地入りし、実況中継をしていたことを覚えています。
この時、マルコス独裁政権崩壊をリポートした「フィリピン報道」で、キャスターの安藤優子さんが、ギャラクシー賞を受賞したのです。

T-SHIRT マルコス一家国外脱出の約1週間後、民衆に初めて開放されたマラカニアンの庭に私はいました。
「無謀」だという声も周囲からはありましたが、怖いもの知らずの私は、たしか3月4日か5日には新政権下のフィリピンに足を踏み入れていたのでした。
左の写真は、その時にマラカニアンの前で買ったコリーカラーのTシャツです。
EDSA 革命20周年であることから、この Tシャツのことを思い出し、今週末のブログに載せようと思っていたので、実家の押入れの奥から引っぱりだしてきたものです。虫喰いもなく、20年間押入れで静かに眠っていました。 


EDSA こちらの写真は、 EDSA 革命に参加した友人が写した生写真です。
いただいた何枚もの写真には、人・人・人で埋めつくされた EDSA が写っています。みんな、コリーカラーである黄色を身につけています。

EDSA 革命直後に出会った人たちは、長期間に渡る苦難、抑圧、不正、絶望の日々に終止符が打たれ、自由を勝ち取ったことで喜びに満ちあふれていました。

EDSA 革命で、コリーは大統領に就任しました。 この革命と勝利は、彼女の夫、NINOY(ニノイ)の愛称で国民に人気のあった BENIGUNO AQUINO (ベニグノ・アキノ)氏が暗殺されていなかったら、起こっていなかったかもしれません。

振返ってみれば、あっという間の20年でした。
当時のことを知らない方も多いことでしょう。ここで2冊の本を紹介しておきます。
インターネットもない時代、必死になって現地での事情を知ろうと読んだ、数少ない貴重な本です。

BOOK NINOY ■ 暗殺の壁画
 
 河出書房新社  ISBN: 4309003745 (1984/07)
 著者は、現東京都知事 石原慎太郎氏
 
 著者後記で、こう語っておられます。
 「1983年8月21日、マニラ空港で暗殺された私の親友、ベ二グノ・アキノ元上院議員と私の交友に関して記したものである。私自身も政治に身を置くものだが、彼の暗殺ほど、政治の持つ残酷な不条理を身にしみて教えた出来事はない。」



BOOK CORY ■ コラソン・アキノ―闘い(ラバン)から愛(ラブ)へ

 立風書房 ISBN: 4651700314 (1986/11)
 著者: 若宮 清

 著者、若宮清氏は、死をも覚悟して帰国したアキノ氏に同行し、結局暗殺の寸前まで機内で彼と共にしていたジャーナリストです。




EDSA 革命についてもっと知るには ▼
 
フィリピン・インサイド・ニュース

WIKIPEDIA (英文)

■フィリピン現地のサイト(英文)
 ・THE 1986 EDSA REVOLUTION WEBSITE
  ページ左にメインページ、右にフラッシュムービーの表示があります。
  是非、右のフラッシュムービーから入ってみてください。

 ・THE 1986 EDSA REVOLUTION WEBSITE
  上記のメインページに直接アクセスします。

 ・PHILIPPINE EDSA REVOLUTION
  アキノ氏暗殺から、マルコスをはじめ、EDSA 革命時の立役者が全員勢ぞろい
  しています。
  英文ではありますが、当時の緊迫感が伝わってきます。

   

February 24, 2006

◇フィリピン地滑り災害 被害者のための義援金について 

   ━━◇◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
              お 知 ら せ 
   ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆━━


2月17日にフィリピン中部のレイテ島で発生した地滑りの被災者とそのご家族に
対して、心からお見舞いを申し上げます。


インターネット社会においては欠かせなくなったネットバンキング、その代表的な
イーバンクが、レイテ島地滑りの被災者義援金受付口座を開設したそうです。

イーバンク口座を利用して、24時間、1円から義援金を寄付することが可能であり、
またイーバンク口座を持っていない方からの募金も受け付けているそうです。


義援金の全額は、最終寄付先である日本赤十字社の「フィリピン地滑り災害救援金」
を通じてフィリピンに送られ、被災者の救援活動に使用される予定とのこと。


               ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

詳細は、イーバンクのHP

     「フィリピン地滑り災害 被害者のための義援金について

でみることができます。


  

February 22, 2006

◇フィリピン食材をネットで GET!

便利になりました! インターネットのおかげで、フィリピン食材が入手しやすくなってきました。 
フィリピン食材を取り扱うサイトが、どんどん増えています。冷凍食品まで登場です。
lutong bahay 入手しやすくなったフィリピン食材で、LUTONG BAHAY(ルトン・バハイ=家庭料理)にトライしてみませんか? 

 メインとなる材料と《インスタント・ミックス》があれば、ADOBO(アドボ)、 SINIGANG(シニガン)、KARE-KARE(カレカレ)、KALDERETA(カルデレータ) など、代表的なフィリピン料理がご家庭で楽しめます。

 冷凍の TAPA(タパ)、 LONGANISA(ロンガニーサ) でTAPSILOG(タプシログ)や LONGASILOG(ロンガシログ) のフィリピン定番朝食セットメニュー、 瓶詰めフルーツのシロップ漬でハロハロやフルーツサラダ
作ってみるのは面倒くさいって時は、いっそのこと冷凍食品をチン!


同じ食材を扱っているショップはありますが、各ショップそれぞれ「これは」というアイテムがあります。

 入手先は ▼ 

バズコーポレーション

ADOBO & SINIGANG
 フィリピン食材では老舗中の、老舗。 フィリピンより直輸入し、販売されています。 
インスタント・ミックスでおなじみの 《 MAMA SITA (ママ・シタ)》ブランドの正規ディストリビューターです。
その他取扱アイテム:SUN CATCH (サン・キャッチ)フルーツジュース / RITA RITZ バナバ茶 /UBE(ウベ=紫芋)やMACAPUNO(マカプノ=熟してもかたく「ならないココナッツの果肉)のアイスクリーム /冷凍の LONGANISA(ロンガニーサ=フィリピンソーセージ)・BBQ(フィリピンバーベキュー)


アジア・エスニック食材「シャプラ」  フィリピンのコーナー
 インスタントミックスは《MAMA SITA(ママ・シタ)》と《クノール》/《クノール》の固形ブイヨンはシュリンプフレーバー/フィリピン版ルートビア? SARSI /SAGO(サゴ=フィリピンタピオカ)


赤羽物産
アイスクリーム/SALTED FISH(フィリピン干し魚)/SABA(サバ=料理用バナナ)/BALOT(バロット=孵化しかけのタマゴ)/ フィリピン野菜


■砂町銀座 カトリヤ
 東京下町 砂町銀座通り商店街にある創業60年、下町の乾物屋さん。
「地元にお住まいのタイ、フィリピンの方々からのリクエストで食材を集めているうちに400品種以上にもなりました。」とトップページにあるように、品揃えはたいしたもの。何から何までそろっています。
グリーンマンゴやグリーンパパイヤもリーズナブル。まとめ買いをしなくても1個からでもケース値段。
みたところ、品揃えは一番じゃないかなぁ。


PAKNAM ONLINE STORE
 品種は少ないですが、これからに期待できます。


むら珍
アメ横の老舗。サイト上では「フィリピン」というカテゴリーはありませんが、「新鮮野菜」のカテゴリーで《バナナの葉》、《グリーン・パパイヤ》が購入できます。


■楽天でも青パパイヤ フィリピンにより近い沖縄から。(こういう手もありますね。)
 
パパイヤ(野菜) 1kg
 


Philippines ALICE 
代表的、かつ庶民的なフィリピン料理を冷凍で。


Nippi Trading Co., Ltd
ネット販売ではないようですが、HPには、フィリピンからの輸入フルーツが掲載されています。
ココナッツ/サトウキビ/料理用バナナ SABA(サバ)etc


          ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
えっ、作り方がわからない?
そんな時は、こちら▼をご参照ください。 インスタント・ミックスの使い方も掲載されています。

■■フィリピン家庭料理入門―おいしくさわやかハロハロクッキング

BOOK





  

February 20, 2006

◇フィリピンのパームツリー <3>

 ココ椰子については当ブログ初期の頃、《◇フィリピンのパームツリー〔1〕〔2〕》でピクルスやスウィーツ、またココナッツのレシピブックなどをご紹介しました。
そして、ココナッツのお酒、LAMBANOG(ランバノッグ)や、最近のナタデココのことも。

しかし、ココ椰子の利用範囲は、食べ物だけではありません。
タワシや脱臭剤等の日用品から、アロマエッセンスや美容目的のオイル、クリームと女性の必需品にいたるまで、様々な分野で利用されてる、大変利用価値の高い植物です。

つい先日、フィリピンからバージンココナッツオイルを輸入し、美容用、クッキング用の製品を販売されている業者さんにお目にかかる機会がありました。
ホームページには、ココナッツについて多くの情報が掲載されています。日本語で読めるフィリピンのココナッツ事情は貴重です。
丁度、2月18日から新製品も販売開始されたということですので、ここでご紹介したいと思います。

(株)ココウェル さん といいます。 
 ホームページには、ココナッツについて、バージンココナッツオイルについて詳しい情報が掲載されています。 特に美容と健康面における解説は見逃せません。

☆クッキング用エキストラバージンココナッツオイルは、別の専門ホームページ、COCOMEAL(ココミール)を設けておられます。


cocowell    cocobalm 
 〔左〕ナチュラルバージンココナッツオイル
 〔右〕新製品、ココバーム ホホバオイル、スイートアーモンドオイル、ミツロウ配合

「美容と健康に!」という言葉には、つい敏感に反応してしまいます。早速試してみなければ。


              ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


cocobag さて、当ブログの表サイト、FILIPINIANA SELECT SHOP HARANA でも、新製品をアップしました。 
ココシェル・バッグ》ココナッツの殻をパーツにしてつなぎ合わせたバッグです。
ココナッツはファッション雑貨にまで変身しちゃいます。 ね、利用価値大でしょ。

ショップの方にも、是非お立ち寄りください。