February 03, 2006
◇フィリピンの海洋民
今年の初めに《新年、フィリピンを読む》と題して、「読んでみたい本」、「読み直してみたい本」をリストアップしました。
■「漂海民バジャウの物語―人類学者が暮らしたフィリピン・スールー諸島
」もそのうちの一冊なのですが、この本の続編が発刊されていることがわかりました。

■「フィリピン・スールーの海洋民―バジャウ社会の変化
」というタイトルで、前作がバジャウの人々の暮らしの民族誌を物語的にわかりやすく綴ってあるのに対し、この続編は、「漂泊的な家舟居住生活を放棄し、定住的な家屋居住生活を受け入れた結果、バジャウ社会にどのような変化が生じてきたのかを探り」、具体的に新旧のバジャウ社会、居住方式、婚姻、離婚、親族、仕事、となり組、政治制度を比較分析されたもの、だということです。−「これは興味深い!」

著者ハリー・アルロ・ニモ氏は、ハワイ大学の人類学博士で、現在はカリフォルニア州立大学ヘイワード校人類学部名誉教授。60年代からバジャウのフィールドワークを始め、現在バジャウ研究の第一人者だといいます。
* * * * * *
《バジャウ》とは、フィリピン南西端、スールー諸島周辺の海を舟で漂泊し漁業と交易で生活を営む、水上生活者のこと。 何年か前に、テレビ(確かNHK)でバジャウの人たちを特集する番組を観たことがあります。
テレビの中の彼らは、私が知るフィリピン人とは、全く異なった生活習慣を営む人たちでした。
生活の場が「陸上」と「海上」の違いということだけではなく、クリスマスや HOLLY WEEK(ホーリー・ウィーク)といったキリスト教の習慣を生活基盤としている私の知る多くのフィリピン人とはちがい、バジャウの人たちのそれは伝統的儀式や、そしてそれに使用されるコスチュームまで、イスラム色の濃いものでした。
また、彼らはずっと船上でのみ生活をしていると思い込んでいましたが、水上に建てられた村があり、そこの集会場のようなところで、結婚式などの儀式が執り行われるのだと知りました。
* * * * * *
《バジャウ》のことをもっと知ろうとインターネットで調べていると、「マレーシアのバジャウ」とか「インドネシアのバジャウ」という表現が何度も目につきました。
《バジャウ》というのはフィリピンでのみ使われている言葉だと思っていたのに、それは大きな間違いで、よくよく調べてみると、「バジャウ人は海に生活の多くを依存する海洋民で、ウォーラセア海域の広い範囲に分散移住している」とのこと。
ということは、バジャウが存在する地域では、どこも共通に《バジャウ》と呼んでいるってこと?
京都大学東南アジア研究所(CSEAS)の『フィールドから見た東南アジア』という研究報告には、次のように解説されています。
〜 自然地理学上の分類線であるウォーレス線は、ロンボク海峡からマカッサル海峡を北上し、ミンダナオ島の東北に抜ける。ウォーレス線の東に広がるのがウォーラセア海域である。ウォーラセア海域は、多様な森林産物と海産物を有する多島海で、古くから海を媒介とする人とモノのネットワークが発展してきた。バジャウ人は海に生活の多くを依存する海洋民で、ウォーラセア海域の広い範囲に分散移住している。古くから彼らは、ナマコやフカヒレなどの華人向け海産物の採取を生業としてきた。〜
* * * * * *
上記で紹介した2冊は、和文に訳されたものですが、バジャウについての研究成果が発表された日本語による書籍が、ちょうど最近発刊されたばかりです。
■ 貧困の民族誌―フィリピン・ダバオ市のサマの生活

タイトルに《バジャウ》という言葉が含まれていないので、この本が《バジャウ》について書かれたものだとは気がつかなかったのですが、「サマ」というのはサマ語を話す人たちのことで、《バジャウ》もそこに属するのだそうです。
著者、青山 和佳氏の研究報告は、アジア政経学会(JAAS)のHPにも「フィリピン・ダバオ市におけるバジャウの生活条件」というタイトルでデータベース化されたものが掲載されています。
==========================
その他《バジャウ》に関する書籍や研究報告はこちら ▼
■「漂海民バジャウの物語―人類学者が暮らしたフィリピン・スールー諸島

■「フィリピン・スールーの海洋民―バジャウ社会の変化

著者ハリー・アルロ・ニモ氏は、ハワイ大学の人類学博士で、現在はカリフォルニア州立大学ヘイワード校人類学部名誉教授。60年代からバジャウのフィールドワークを始め、現在バジャウ研究の第一人者だといいます。
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《バジャウ》とは、フィリピン南西端、スールー諸島周辺の海を舟で漂泊し漁業と交易で生活を営む、水上生活者のこと。 何年か前に、テレビ(確かNHK)でバジャウの人たちを特集する番組を観たことがあります。
テレビの中の彼らは、私が知るフィリピン人とは、全く異なった生活習慣を営む人たちでした。
生活の場が「陸上」と「海上」の違いということだけではなく、クリスマスや HOLLY WEEK(ホーリー・ウィーク)といったキリスト教の習慣を生活基盤としている私の知る多くのフィリピン人とはちがい、バジャウの人たちのそれは伝統的儀式や、そしてそれに使用されるコスチュームまで、イスラム色の濃いものでした。
また、彼らはずっと船上でのみ生活をしていると思い込んでいましたが、水上に建てられた村があり、そこの集会場のようなところで、結婚式などの儀式が執り行われるのだと知りました。
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《バジャウ》のことをもっと知ろうとインターネットで調べていると、「マレーシアのバジャウ」とか「インドネシアのバジャウ」という表現が何度も目につきました。
《バジャウ》というのはフィリピンでのみ使われている言葉だと思っていたのに、それは大きな間違いで、よくよく調べてみると、「バジャウ人は海に生活の多くを依存する海洋民で、ウォーラセア海域の広い範囲に分散移住している」とのこと。
ということは、バジャウが存在する地域では、どこも共通に《バジャウ》と呼んでいるってこと?
京都大学東南アジア研究所(CSEAS)の『フィールドから見た東南アジア』という研究報告には、次のように解説されています。
〜 自然地理学上の分類線であるウォーレス線は、ロンボク海峡からマカッサル海峡を北上し、ミンダナオ島の東北に抜ける。ウォーレス線の東に広がるのがウォーラセア海域である。ウォーラセア海域は、多様な森林産物と海産物を有する多島海で、古くから海を媒介とする人とモノのネットワークが発展してきた。バジャウ人は海に生活の多くを依存する海洋民で、ウォーラセア海域の広い範囲に分散移住している。古くから彼らは、ナマコやフカヒレなどの華人向け海産物の採取を生業としてきた。〜
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上記で紹介した2冊は、和文に訳されたものですが、バジャウについての研究成果が発表された日本語による書籍が、ちょうど最近発刊されたばかりです。
■ 貧困の民族誌―フィリピン・ダバオ市のサマの生活

タイトルに《バジャウ》という言葉が含まれていないので、この本が《バジャウ》について書かれたものだとは気がつかなかったのですが、「サマ」というのはサマ語を話す人たちのことで、《バジャウ》もそこに属するのだそうです。
著者、青山 和佳氏の研究報告は、アジア政経学会(JAAS)のHPにも「フィリピン・ダバオ市におけるバジャウの生活条件」というタイトルでデータベース化されたものが掲載されています。
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その他《バジャウ》に関する書籍や研究報告はこちら ▼
■ 海の漂泊民族バジャウ

■ 漂海民―月とナマコと珊瑚礁

■ 越境―スールー海域世界から

■ 東京理科大学 HP内:「東南アジアの海上住居」
■ 東京外国語大学 HP内:「主要研究業績」等
■ 国立民族学博物館 HP内:「水上生活者バジャウと狩猟採集民プナン」 (マレーシア)

■ 漂海民―月とナマコと珊瑚礁

■ 越境―スールー海域世界から

■ 東京理科大学 HP内:「東南アジアの海上住居」
■ 東京外国語大学 HP内:「主要研究業績」等
■ 国立民族学博物館 HP内:「水上生活者バジャウと狩猟採集民プナン」 (マレーシア)
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この記事へのコメント
こんにちは、拙著をとりあげてくださってありがとうございます。『フィリピン・スールーの海洋民』の原著は1972年の出版ですが、「バジャウ」という呼称について、Nimmo先生ご自身が近著のプロローグ、2頁目でつぎのようにコメントされています。ご参考まで。
サマ・ディラウトをバジャウと学術研究書でよぶのは一種の「しきたり」(tradition)だったが、"I was always uncomfortable about doing so and in recent years have become increasing so. Alain Martenot called the Sitangkai "Bajau" by their autonym(=本名、自称) Sama. It is time for "Sama Dilaut" to become established in the ethnographic literature as the name for the sea-dwelling Sama People of the Sulu archipelago and eastern Borneo."(文献)Nimmo, H. Arlo (2001) MAGOSAHA: An Ethnography of the Tawi-Tawi Sama Dilaut, Ateneo de Manila University Press.
サマ・ディラウトをバジャウと学術研究書でよぶのは一種の「しきたり」(tradition)だったが、"I was always uncomfortable about doing so and in recent years have become increasing so. Alain Martenot called the Sitangkai "Bajau" by their autonym(=本名、自称) Sama. It is time for "Sama Dilaut" to become established in the ethnographic literature as the name for the sea-dwelling Sama People of the Sulu archipelago and eastern Borneo."(文献)Nimmo, H. Arlo (2001) MAGOSAHA: An Ethnography of the Tawi-Tawi Sama Dilaut, Ateneo de Manila University Press.
Posted by わか at February 17, 2006 14:26
わかさん、コメントありがとうございます。
著者の方直々にアクセスいただき、その上コメントまでいただき、非常に光栄です。
「バジャウ」という呼称についても、貴重な情報をありがとうございました。当ブログで要点だけでも邦訳して掲載したところですが、それには「バジャウ」の背景をもっと勉強する必要がある、と痛感しております。
「貧困の民族誌―フィリピン・ダバオ市のサマの生活」は、左サイドバーの、BOOKS NEW!でも紹介させていただきました。
今後とも宜しくお願いいたします。
著者の方直々にアクセスいただき、その上コメントまでいただき、非常に光栄です。
「バジャウ」という呼称についても、貴重な情報をありがとうございました。当ブログで要点だけでも邦訳して掲載したところですが、それには「バジャウ」の背景をもっと勉強する必要がある、と痛感しております。
「貧困の民族誌―フィリピン・ダバオ市のサマの生活」は、左サイドバーの、BOOKS NEW!でも紹介させていただきました。
今後とも宜しくお願いいたします。
Posted by harana at February 18, 2006 00:18