March 29, 2011
◇フィリピンのプロビンス、Batangas (バタンガス)州、Taal (タール) の町へ [Vol. 3 Villavicencio Residence (1/2) ]

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[Vol. 2 Town Plaza ] の続きです。
昔ながらのフィリピンらしい建物が数多く残る町、Taal。 中にはどう見ても廃墟としか思えない朽ち果てたものもありますが、博物館になっていたり、修復して一般公開していたり、当時の生活様式を垣間見ることができる建物がいくつも現存しています。 それらは単に古いというだけでなく、この国の歴史の一端を担った貴重なランドマークでもあります。

例えば、まず最初に訪れたこちらの
Gliceria Marella Villavicencio Residence

典型的な Bahay na bato (バハイ・ナ・バト=石造りの家)スタイルのこの家は、1898年6月12日 Emilio Aguinaldo がフィリピンの独立を宣言した際に、「革命軍の母」と称した Doña Gliceria Marella de Villavicencio (1852 - 1929) の住居。 彼女は夫 Don Eulalalio Villavicencio (1842 - 1898) と共にフィリピンの独立運動に共感し、革命組織を精神面でも金銭面でも支援したと言われています。
Villavicencio 夫妻は、後にフィリピンの国民的英雄とされる José Rizal のプロパガンダ運動 (1880年代、Rizal 他スペイン在住の留学生を中心に行われた改革運動) にかなりの資金援助をしたばかりでなく、スペイン圧政下に苦しむ植民地フィリピンの様子が克明に描き出された Rizal の小説 『Noli Me Tangere (ノリ・メ・タンヘレ)』、 『El Filibusterismo (エル・フィリブステリスモ)』 が出版された際も、民衆に配布されるまでの間この家で保管するなどの支援を続けました。 また、革命家達の密会の場所としても住居を開放していました。 その密会に参加していたのは、スペインからの独立を目指す秘密結社 katipunan (カティプナン) を結成した Andres Bonifacio をはじめ、 Miguel Malvar や Felipe Calderon といった歴史に名を残す革命運動家達であったということです。
では、家の中へどうぞ。

正面のエントランスを入ったところ
(ここにはテーブルや椅子が設置されていますが、本来、Bahay na bato では居住空間は二階に設けるのが一般的で、zaguan と呼ばれる一階のこの部分は馬車等の物置として使用されていたはずなので、これらの家具は一般公開するにあたり、ディスプレイとして置かれているのではないかと推測します。)

踊り場付の傾斜が急な階段を上り二階へ

階段を上ると左手は Sala (リビング) とベッドルーム。
広いリビングは、間に扉があり大、小、二部屋続き。

訪問者がそれほど親しい間柄ではない場合は、手前の小さい方へ通され、

親戚や親しい関係であれば奥の大きい方のメインリビングへ、というように使い分けられていたそうです。

通りに面したメインリビングを取り囲むように、大きな カピス窓 のある明るい廊下(?)が設けられています。 廊下というより、ベランダと呼ぶべきでしょうか?

メインリビングの壁に飾られたご夫妻のポートレートは、ヨーロッパの美術界でもその才能を高く評価されたフィリピン人画家 Juan Luna の作品。

メインリビングとつながるふた間続きのベッドルーム。

ベッドルーム横の小スペース。 シエスタタイムを過ごすのにでも使われていたのでしょうか?
今日のところはひとまずこの辺で。
次回は階段を上がって右手の様子をご紹介します。
・・・ 続く ・・・
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