July 08, 2011

◇フィリピンのプロビンス、Quezon (ケソン)州 へ [Vol.9 Sariaya (サリアヤ) の Gala-Rodriguez House ]


gala-rodriguez house 1


♪・.。・.☆°・.。*.°♪・.。★・.°*。・ ☆・.♪


[Vol.8 Sariaya の Agawan 祭 ] の続きです。


前回、最後にチラリと画像をアップしましたが、Sariaya には、先祖から受け継がれてきた古い家屋がいくつか残っています。



その内の一軒が、Gala-Rodriquez House


gala-rodriguez house 2


1930年代に、当地の有力者 Don Isidro Rodriguez によって建てられたアールデコ調の豪華な邸宅は、病床に伏す妻 Doña Gregoria Gala Rodriguez への贈り物。 デザインは、国際的にも著名なフィリピン人建築家、Juan Nakpil の手によるものです。  
待ち望んでいた新居が完成し、入居は Gregoria の誕生日に決まりましたが、残念なことに彼女はその2日前に亡くなってしまったということです。
 


gala-rodriguez house 3

エントランス横の壁に取り付けられたプレートは、2008年5月14日、NHI (National Historical Institute 国立歴史研究所?) に国家遺産として認定された証。



では、中に入ってみましょう。


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gala-rodriguez house 6




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リビングのソファーや、ダイニングテーブルなどが幾セットも配置されています。  これらの贅沢なフランス風の家具調度品は、マニラ有数の家具工房 Don Gonzalo Puyat に発注されたものだそうです。

ピアノ、クリスタル・シャンデリア、エレガントなテーブルセッティング・・・、数々の高級品からこのファミリーの豊かな生活ぶりが垣間見れるようです。





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思わず 「欲しい!」 と叫びそうになった洒落たドアノブ。 (その前に、これが似合う邸宅が必要。 断念するしかありません。)





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当時のコスチュームも展示されています。 左の写真は、Rodriguez 夫妻の長女、Carmen Gala Rodrigues Arguelles. その写真の右側に飾られているのは、Terno (テルノ=女性用の正装) の袖でしょうか?




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ロマンティックな寝室




第二次世界大戦中、Sariaya の町は日本軍に占領されました。 この家も日本軍のヘッドクォーターとして占領され、家族は1階のみ使用することが許されたそうです。

ところで、どこまでが真実かわかりませんが、日本軍のある高官がこの家の長女 Carmen を見初めたのだそうです。  彼は、家族にも食糧や衣服を贈るなど猛アタックし、ラブ・ソングまで捧げたとか。 ラブ・ソングって、フィリピン流求愛の習慣 Harana (ハラナ=男性が夕刻、お目当ての女性の部屋の窓の下で、ギターを奏でながら歌を歌って愛の告白をする、というロマンティックな伝統的習慣) を実践したってことじゃない!? 本当なら、なんだか笑えてしまいます。
しかし相手はセレブ、金品に左右されるわけはありません。 彼の意図に疑いを抱く家族は、Carmen と彼女の yaya (ヤヤ=お付きの召使い) を地下室に隠し、彼との接触を避けさせたということです。





邸宅内を見学した後、エントランス前の庭に出てみました。


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エントランス横のテラスには、訪問者にふるまうための伝統的なお酒 Lambanog (ランバノグ=ココナッツの蒸留酒) が用意されています。 この地方では、聖なる Banahaw 山の水がココナッツを育てると言われ、Lambanog は人々が集まる行事には不可欠とされています。

このあと、民族衣装を身につけた女性が、傍らで奏でるギターに合わせ、歌って踊りながら訪問者に Lambanog を勧めるというパフォーマンスが披露されました。 これは訪問者を歓迎する伝統的儀式だということです。




建物の裏側には、大きなスイミングプール 


gala-rodrigues house 7



実はこのプールにはストーリーがあります。 この家が日本軍のヘッドクォーターとして占領されていたことから、アメリカ軍の爆撃のターゲットになりました。 予めアメリカ軍の爆撃計画を知らされた家族は避難して無事だったのですが、家には三発の爆弾が撃ち込まれました。 一発目は正面ゲート付近、二発目はかなり大きなものが建物の裏側、ちょうどこのプールがある場所で爆発しました。 二発目の爆発により地面には深く巨大な穴があいてしまい、後にこの穴の部分にプールを作ったいうことです。
ちなみに三発目は不発弾で、ガレージに保管されました。 Sariaya が開放された一週間後、アメリカ軍歓迎パーティーがこの家で催されましたが、Carmen の妹がアメリカ兵にガレージで眠る不発弾のことを話した事から、すぐさまパーティーは中止され、爆弾処理班が招集され不発弾は処理されたそうです。




gala-rodriguez house 11


プールサイドにもバナナと七夕飾り。 (違うって!) Agawan フェスティバルには欠かせないようですね。 あっ、七夕飾り (シツコイ!) の本名は、"Bagakays" (バガカイス?) というそうです。



スイミングプールを通り過ぎ、裏門を出ると、通りはお祭りの飾り付けと人・人・人で賑わっていました。



・・・ 続く ・・・



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この記事へのコメント
優雅な生活だったんですね.
こういう所で生活していたら,私なんかももう少し上品な立ち居振る舞いができたかも…

Carmen Gala Rodrigues Arguelles さんの隣の人形,思わず「ペネロープ」さんと(by サンダーバード)
Posted by cattle at July 12, 2011 19:01
★ cattle さん、
惜しまれながらも閉鎖されてしまった某師匠のブログでも
言っておられたように、案外P国人ってコンサバなんです。
特にセレブは。 
それにこの時代、この地域はココナッツ産業で繁栄して
いたようで、スペイン文化の浸透も今以上だっただろうし、
本当に優雅だったのだと思います。

そういえばサンダーバードには女性もレギュラーでしたか、
言われてみればいたような。 ぺネロープさんというんですね。
まゆ毛の太い男性達ははっきり覚えているのですが。(^ ^;)

Posted by harana at July 13, 2011 10:04