December 25, 2014

◇ フィリピンのチャイナタウンで食べある記 (2014) [ Vol. 7 Ongpin (オンピン) ]


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《 ◇ フィリピンのチャイナタウンで食べある記 (2014) [ Vol. 6 気になるのはデザートではなく・・・ ] 》 の続きです。


カリスマツアーガイド、Ivan 率いるチャイナタウンの食べ歩きツアー、"The BIG Binondo Food Wok!” は、Yuchengco 通りと Carvajal 通りの角、Hopia で有名な "HO-LAND HOPIA & BAKERY" がラストスポット。 このお店をでて、最初の待ち合わせ場所である Binondo 教会 に戻って解散となります。



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《 Carvajal St. 》

来た時とは逆に、路地裏商店街 Carvajal 通りを Quintin Paredes 通りへと戻ります。 帰り道になってやっとこの通りが舗装されていることに気づき、一種の感動をおぼえました。 これなら雨でも (洪水にならない限り) 足元も悪くないですね。 





Quintin Paredes 通りに出ると、

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右にはもう Binondo 教会がみえます。




教会に向かう途中、

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《 Roman Ongpin 像 》

歩いてきた Quintin Paredes 通りと Ongpin 通りの角に、こんな像が建っています。

チャイナタウンのメインストリート Ongpin 通りはこの人物、 Binondo 生まれのビジネスマン Roman Ongpin (1847-1912) にちなんで命名されているのだそうです。

福建省からの移民であった Roman Ongpin の父はろうそく業界で地位を確立していた人物で、その父からビジネスを学んだ彼は1882年、独立してこの地に画材店を設立し成功しました。

職業柄、芸術家たちとの交流も多く、実際に彼の妻は、有名な画家でありフィリピンで最初の芸術学校を創設した Damian Domingo の孫娘であったそうです。

ビジネスマンであると同時に、スペインからの独立運動を支援する愛国者であったことでも知られています。 Bonifacio らによって結成された秘密結社 KATIPUNAN に財政支援をし、1898年2月6日彼の店が焼失したことによって得た保険金の90%までも Aguinaldo に寄付し、支援を続けたそうです。

独立運動の対象がスペインからアメリカへ移ってからも、彼の独立運動支援は続けられ、そのために投獄される身ともなりました。(1900年12月6日〜1901年3月23日)




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1912年、彼の栄誉を称え、Calle Sacristia と呼ばれていた通りは Ongpin 通りという名に変えられ、現在ではチャイナタウンを代表する最も有名な通りとなっています。





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チャイナタウンの門とはミスマッチにそびえ建つ高層コンド



かと思えば、

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こんな庶民的な一場面も。


どちらも、チャイナタウンのメインストリート Ongpin 通りです。





「◇ フィリピンのチャイナタウンで食べある記 (2014)」 は、これにておしまい。


*2010年度版チャイナタウンツアーはこちら ⇒ 


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