January 20, 2019
◇ フィリピン人御一行様の来日ラッシュ
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遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。 m(_ _)m
昨年秋頃からライフスタイルに変化があったため、ブログ更新の時間に余裕なくなっていますが、今年もできるだけ時間をみつけて更新していくつもりです。
さて、日本への旅行者のビザ緩和に伴い、フィリピンからも続々と来日しています。 大家族のフィリピン人、海外旅行もファミリー単位であることもしばしば。
2018年は、10人ほどのグループで来日するファミリーが何組いたことか・・・。 特に10月からは、毎月Pさん達が来阪したので、その都度アテンドに大変でした。
同時に、お土産のフィリピンフードで家中が溢れかえってしまいました。 今も尚 (^ ^;
お土産の中には、10月の FABEX で出展されていたばかりのアイテムがあり驚きました。 それも1点だけでなっかったので、単なる偶然ではなく、国内である程度認められたものが出展されていたのだと実感しました。
春になると、Holly Week 休暇のバケーションに、桜目当てにと、またまたPさん達がやってきます。 それまでに今の在庫を消費してしまわなければ・・・ (^ ^;
既に消費してしまったものもありますが、画像として残してあるものについては、機会があればブログネタにしていきたいと思っています。
新年早々、中途半端な投稿ではありますが、今年もよろしくお願いします。m(_ _)m
* * * * *
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naka
Posted by harana at
21:40
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December 20, 2013
◇ フィリピン台風被災者支援
《 フィリピン台風被災者支援 すまいるプロジェクト 》
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先日、テレ朝のチャンネルで何かのTV番組を見ていたら、途中で 「テレビ朝日では、台風30号によるフィリピンの被災者を支援するために 『ドラえもん募金』 を実施してまいりましたが、今月12日をもって受付を終了いたしました。」 というアナウンスが流れてきました。 (募金総額、寄託先等の詳細は、こちら ⇒ ★)
残念、もう終わっちゃうの? そういえば台風発生直後にはよく目にしたコンビニでの募金を呼びかけるメッセージも見なくなったてきたな・・・と思っていましたが、まだまだ支援活動をしておられる団体はたくさんあります。
例えば、最近ブログ更新をさぼっている フィリピン大好き女子 が街頭募金を手伝ってきた、と言ってその時配布されていたリーフレットをくれました。 トップ写真がそれ、「フィリピン台風被災者支援・すまいるプロジェクト」 のリーフレットです。 このプロジェクトは、近畿ろうきんの協力のもと、4つの NGO,NPO が呼びかけ団体となり、レイテ島やパナイ島を中心に甚大な被害を受け、十分な援助を受けていない人々に対して、 「水」、「食料」、「生活物資」 などを提供するという活動です。
【呼びかけ団体とその活動内容】
・公益社団法人アジア協会アジア友の会
「現地に入り、レイテ島、パナイ島の支援が十分に届いていない地域に支援物資の配布を行っています。」
・特定非営利活動法人アクセス
「募金・寄付は、現地の信頼できるNGOに託し、被災者支援に充てられます。」
・特定非営利活動法人フェア・プラス
「交流のあるパナイ島マリナオの生産者組合を通じて、村の被災者への支援物資の配布を行っています。」
・特定非営利活動法人テラ・ルネッサンス
【協力】
・近畿ろうきん
募金する側にとっては、有効に被災者支援にあてられることを望んでいるわけですから、こちらのように十分に支援が届いていない地域への支援という、明確なプロジェクトにはより協力したくなります。
上記団体のサイトには、現地での支援活動の模様が報告されています。 また募金方法も詳しく記載されているので、是非アクセスしてみてください。
また、ユニセフ でも 「フィリピン台風緊急募金」 の受付、そして支援情報も報告されています。
送金に際し、ゆうちょ銀行では窓口での振り込みの場合は送金手数料が免除、三井住友銀行では手数料が減免されるそうです。
銀行送金以外にも、クレジットカード、インターネットバンキング、コンビニ払いも可能なので便利です。
ところで、アジアの経済ビジネス情報 NNA.ASIA に、フィリピン台風被災地の復興に関する記事が掲載されていました。 ↓
台風被災地、復興に3,600億ペソ必要
国家経済開発庁(NEDA)は18日、台風30号(アジア名・ハイエン、比名・ヨランダ)被災地の復興・再建計画をまとめ、アキノ大統領や国際援助機関に報告した。今後4年間で3,610億ペソ(約8,400億円)の予算が必要としている。
「ヨランダに関する再建支援(RAY)」と称する計画は、被災地の経済および生計手段の回復、経済活動と社会水準を被災前に戻すとともに、自然災害への順応力を引き上げる。4年間にわたって予算を投じる計画になっている。
予算のうち、仮設住宅の建設や被災者の移転費用が1,833億ペソと全体の半分を占める。このほか、◇鉱工業・サービス業支援―706億ペソ◇教育・医療サービス―374億ペソ◇公共インフラ復旧―284億ペソ◇農業支援―187億ペソ◇社会的保護―184億ペソ◇地方自治体向け予算―40億ペソ――とする予定。
NEDAによると、台風30号による被害額は5,711億ペソ。住宅被害が3,252億4,000万ペソで最も多く、以下、鉱工業・サービスが1,160億ペソ、農業が621億1,000万ペソ、インフラが339億8,000万ペソなどと続く。NEDAは台風被害が今年と来年の経済成長率をそれぞれ0.3ポイント押し下げると報告している。
被災地の経済および生計手段の回復、経済活動と社会水準を被災前に戻すとともに、自然災害への順応力を引き上げる「再建支援計画」 とやらには、大いに期待したいものです。 (企画倒れにならないことを祈ります。)
* * * * *
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Posted by harana at
16:20
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May 30, 2012
◇風邪でフィリピン行きが台無し (>_<)
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急遽マニラ行きを決意。 出発前夜、風邪の兆候? 「いやいや、そんなことはない」と自分の身体に言い聞かせて強行突破。 念のために、関空で葛根湯を買ったけど。
マニラ到着、体調は悪くないのに時々咳が出る。 一旦出ると止まらない。 見かねたP-ナが、お薬とのど飴をくれた。 どうかこのままで終わりますように、という願いも虚しく・・・。
翌日バタンガス行きの車の中では、咳との戦い。 ペットボトルの水を少量口に含み喉を潤し、のど飴をなめると、なんとかおさまる。 往復その繰り返し。
三日目、頭痛。 午前中のアポをさっさと終え、ホテルに戻り休息を取る。 午後は外出を諦めた。
四日目、まだ頭痛、それに鼻水が止まらない。 夕方まで、歩き回るのは近場だけにとどめ、夜のアポに備える。 また咳が・・・。
5日目朝、やっと回復の兆し、でももう帰国。
計画のいくつかは遂行できず。 不完全燃焼ってとこね。
ところで、出発前の数日間、Yahoo ニュースのフィリピンのページをチェックしていると、中国との間で領有権を争っている「南シナ海」問題が連日報道され、緊迫する両国の様子が感じられました。
中国の報復措置ともみられるフィリピン産バナナの検疫強化。 その結果、フィリピンから輸出された大量のバナナが中国の各港で足止めされて傷んでしまい、その損害額は数億ペソにものぼる、また、中国国内の反フィリピン人感情が高まり、フィリピン人メイドは外出をひかえている、中国からフィリピンへの観光旅行がキャンセルされている、等々緊張状態を表すニュースが次々と伝わっていました。
一触即発か? と多少心配しながら出発したのに、現地は全くそんな気配なしの、お気楽モード。
もっぱらの話題は、惜しくも 米アイドルオーデション番組 American Idol で優勝を逃したフィリピーナ Jessica Sanchez と、 最高裁長官の隠し財産にまつわる弾劾裁判の行方。 あっ、無事マニラでのコンサートを終えたレディガガと、Miss Philippine Earth 2012 のこともかな。
特に弾劾裁判については、昨日 (5/29) が評決が出る日だったので、よけいに人々の関心はピークに達していたのでしょう。 滞在中、タクシーに乗っても流れてくるのは、裁判中の模様や、裁判について評論するトーク番組など、この話題のみ。 いつもは大音量で音楽をかけているのに。(笑)
評決が出る頃は丁度飛行機の中だったので、ネットで結果を調べみました。(すごいっ、もう Wikipedia に詳しい結果がでてる!) 陪審員である上院議員の評決は、「有罪」とし、罷免。 弾劾裁判による罷免はこの国で初めてとのこと。 (LIVE 動画 → ★ の他、ネット上多数。)
ちなみにこの最高裁長官は、去年逮捕された前大統領アロヨンに有利な司法判断をした彼女の側近。 アロヨ政権の不正追及を掲げる現アキノ大統領と対立していた人物です。
何やら、政界のドロドロしたものを感じますね。
* * *
てなわけで、久々にフィリピンに行っていました。 今回はあまり投稿ネタがないかも・・・ですが、またお立ち寄りください。
では最後に、毎回お約束の機内食など(↓)
《 PR 407 KIX - MNL 》
「ラタトゥユ風酢豚」 というか、「酢豚風ラタトゥユ」 というか・・・
茄子やパプリカが入っているのでラタトゥユかと思ったら、お味の方は酢豚の甘酸っぱさ。 ポーク入りなので、多分酢豚ですね。
日本発便の機内食は、まず外れてないですね。
《 配り忘れられていて、後から出てきたアイスクリーム 》
***
《 PR408 MNL - KIX 》
今度は酢豚ではなく、お魚。 ”Sweet & Sour Fish”
今回、何故か 「揚げた魚」+「味付け」 したものを食べる機会が多くて、これで4品目。
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Posted by harana at
17:56
│Comments(4)
May 19, 2009
◇フィリピンの水際作戦
昨夜、マニラから帰国しました。
マニラ到着後はTVもネットニュースも見る暇が無く、
ホテルをチェックアウトする前に、Yahoo Japan を
見てびっくり。 大阪、兵庫が大変なことになってる!
あわててTVをつけてNHKを観ると、マスクだらけ!?
関空到着後、検疫に時間がかかるのでは? という
心配をよそに、搭乗客も少ないせいかほぼ通常通り
入国の手続きは終わり、すんなりとリムジン乗り場へ。
ところで、フィリピンに入国した4日前、着陸後機内から
到着ゲートに出るやいなや、黄色い紙を手渡されました。
検疫の質問票でした。 日本入国時は機内で配布されるのに。
これまで NAIA で検疫カウンターなんか見た覚えはないし、
どこに提出するのだろう? こんなときだから臨時カウンターが
できているのかも? と思いつつイミグレに向かって歩いていると、
人の流れが止まっちゃってる。
窓際に座り込む人や、
壁にへばりつく人・・・
ボールペンもなければ、テーブルもなし。
質問票はこの先で2,3人のピーナが回収するのみ。
サーモグラフィーカメラは設置されていましたが。
(NAIA ターミナル1の様子です。 PAL の場合は
ターミナルがちがうので、同じ状況だとは限りません。)
以上、4日前の水際作戦の様子でした。
今日もまだこんな状態なんでしょうかね。
そうそう、ホテルのエントランスでは体温チェックを
していました。 でも毎回ではなく何度も出入りしている
のにチェックされたのはたった二回だけ。 意味ないな〜。
* * * * *
しかし、今回はよく食べました。 その模様は、
これから折を見て少しずつアップしていきます。
Posted by harana at
23:52
│Comments(4)
March 06, 2006
◇フィリピン・ペソの動き
日ごろメールのやり取りをしているフィリピン人の友人から、昨夜こんなメールがありました。
『とっても驚いています。
こちらでは今、政治的問題に直面しているという情勢であるにもかかわらず、PESO 高になってきています。
信じられませんが、過去4日間でペソが強くなりました。
今日(3月5日)の米ドルに対する為替レートは、過去6年間ではベストのP51.25 です。』
ちなみに、本日(3/6)10:33 A.M. 現在の外国為替相場(スポットレート)をみてみると、
・USD (米ドル) = TTS ¥117.57 (円高に戻ってきました)
・PHP (フィリピン・ペソ) = TTS ¥2.44 (確かにペソ高になっています)
企業のサインボード、店内のポップ、リーフレットなどを製作する会社を経営してい彼女は、こう付け加えています。
「このことが理由なんでしょう、わが社がこれだけ忙しいのは。 スタッフは、このところ残業続きで日曜日も休めない状態です。」
いつも感じることですが、フィリピンでは外食産業が本当に繁盛しています。言い換えれば、外食産業のみが繁盛しているのかもしれません。
彼女の主なクライアントは、大手の有名外食チェーン店。 その中の、何店舗もブランチを所有するある1社が新メニューに切り替えるそうで、それに合わせて印刷、設置に大忙しなのだそうです。
外食産業そのものでなくても、外食産業にかかわる事業をしていると、必然的に同じように繁盛する、というわけですね。
一方ではペソ高進行はフィリピン経済に悪影響を及ぼすとの懸念もあり、また、非常事態宣言は解除されたものの、発令された直後は、フィリピン派遣米軍が一部フィリピン国軍部隊の不穏な動きをけん制するためか、首都圏周辺に集中配置されていたということが判明したということです。
その上、米軍はクラーク旧米空軍基地内に司令本部を設置し、公表されたミンダナオ地方南西部スルー州だけでなく、首都圏周辺各地で空中戦闘、大規模実射、都市型戦闘、上陸作戦などの訓練を繰り広げ、移動訓練を名目とした比再駐留の進ちょくぶりをみせつけたといいます。(日刊まにら新聞)
いずれにせよ、ますますフィリピンから目を離すことができません。
『とっても驚いています。
こちらでは今、政治的問題に直面しているという情勢であるにもかかわらず、PESO 高になってきています。
信じられませんが、過去4日間でペソが強くなりました。
今日(3月5日)の米ドルに対する為替レートは、過去6年間ではベストのP51.25 です。』
ちなみに、本日(3/6)10:33 A.M. 現在の外国為替相場(スポットレート)をみてみると、
・USD (米ドル) = TTS ¥117.57 (円高に戻ってきました)
・PHP (フィリピン・ペソ) = TTS ¥2.44 (確かにペソ高になっています)
企業のサインボード、店内のポップ、リーフレットなどを製作する会社を経営してい彼女は、こう付け加えています。
「このことが理由なんでしょう、わが社がこれだけ忙しいのは。 スタッフは、このところ残業続きで日曜日も休めない状態です。」
いつも感じることですが、フィリピンでは外食産業が本当に繁盛しています。言い換えれば、外食産業のみが繁盛しているのかもしれません。
彼女の主なクライアントは、大手の有名外食チェーン店。 その中の、何店舗もブランチを所有するある1社が新メニューに切り替えるそうで、それに合わせて印刷、設置に大忙しなのだそうです。
外食産業そのものでなくても、外食産業にかかわる事業をしていると、必然的に同じように繁盛する、というわけですね。
一方ではペソ高進行はフィリピン経済に悪影響を及ぼすとの懸念もあり、また、非常事態宣言は解除されたものの、発令された直後は、フィリピン派遣米軍が一部フィリピン国軍部隊の不穏な動きをけん制するためか、首都圏周辺に集中配置されていたということが判明したということです。
その上、米軍はクラーク旧米空軍基地内に司令本部を設置し、公表されたミンダナオ地方南西部スルー州だけでなく、首都圏周辺各地で空中戦闘、大規模実射、都市型戦闘、上陸作戦などの訓練を繰り広げ、移動訓練を名目とした比再駐留の進ちょくぶりをみせつけたといいます。(日刊まにら新聞)
いずれにせよ、ますますフィリピンから目を離すことができません。
February 26, 2006
◇フィリピンの黄色い Tシャツの想い出
「テレビ番組収録中の事故」、「レイテ島の地滑り災害」と今月になってからよくない事件続きのフィリピンですが、『そうだ、そろそろEDSA 革命の日、一滴の血も流さずに独裁政権から民衆が自由を勝ち取った、あの PEOPLE'S POWER からもう今年で20年なんだ、週末のブログ記事はこれでいこう』と思っていた矢先のできごとでした。
2月23日、レイテ島の救援状況を気にしながら「クーデター計画発覚、将校14人を逮捕」というニュースの見出しには気がついていました。でもそれほど気には止めていませんでした。
2月24日、「エドサ革命20周年にあたって新たなピープルパワーによる暴動や反乱が懸念されることから全国で警戒態勢を敷いた。」
この記事の直後でした、アロヨ大統領が『非常事態宣言』を発令した、ということを知ったのは。
2月25日、CORAZON AQUINO (コラソン・アキノ)が大統領に就任した日です。
アキノ、ラモス両元大統領、ロサレス枢機卿らが参列した「エドサ革命20周年記念」のミサは、エドサ聖堂で午後1時すぎ無事終了したとのこと。 就任以来、毎年ミサに参列してきたアロヨ大統領は出席しなかったそうです。
国軍の指揮命令系統に乱れは出ておらず、クーデター計画は失敗に終わった、というにもかかわらず、『非常事態宣言』を発令したアロヨ大統領に対し、コリー(アキノ元大統領の愛称)はミサ終了後、「非常事態宣言は戒厳令同然だ」と現政権を非難したそうです。
アロヨ大統領辞任を訴えて2005年7月に辞任した元閣僚らも、「現政権の不正と圧政」を非難して、アロヨ大統領の「即時辞任」をと訴えているというし。
* * * * * * *
あ〜、またもや、フィリピンの危機。せっかく《フィリピンがイメージアップ》しようとしていた矢先に。
こういうニュースが全世界に向けて発信されるたびにフィリピンのイメージがダウンして、旅行者も減っちゃうんですよね。
実際、今日からフィリピンに行くはずだった人から24日の夜遅く、「取りやめになった」との連絡がありました。
これ以上、事態が悪化しなければいいのですが。
たしか、EDSA 革命の時は外務省から『渡航中止勧告』が発令されたのでは?(もしくはフィリピン行きの便がキャンセルされただけだったのか?)
実は当時、私は1週間後にフィリピン行きが決まっていたのです。ですからあの時はずっとテレビの前に釘付けでした。
日本の報道陣も現地入りし、実況中継をしていたことを覚えています。
この時、マルコス独裁政権崩壊をリポートした「フィリピン報道」で、キャスターの安藤優子さんが、ギャラクシー賞を受賞したのです。
マルコス一家国外脱出の約1週間後、民衆に初めて開放されたマラカニアンの庭に私はいました。
「無謀」だという声も周囲からはありましたが、怖いもの知らずの私は、たしか3月4日か5日には新政権下のフィリピンに足を踏み入れていたのでした。
左の写真は、その時にマラカニアンの前で買ったコリーカラーのTシャツです。
EDSA 革命20周年であることから、この Tシャツのことを思い出し、今週末のブログに載せようと思っていたので、実家の押入れの奥から引っぱりだしてきたものです。虫喰いもなく、20年間押入れで静かに眠っていました。
こちらの写真は、 EDSA 革命に参加した友人が写した生写真です。
いただいた何枚もの写真には、人・人・人で埋めつくされた EDSA が写っています。みんな、コリーカラーである黄色を身につけています。
EDSA 革命直後に出会った人たちは、長期間に渡る苦難、抑圧、不正、絶望の日々に終止符が打たれ、自由を勝ち取ったことで喜びに満ちあふれていました。
EDSA 革命で、コリーは大統領に就任しました。 この革命と勝利は、彼女の夫、NINOY(ニノイ)の愛称で国民に人気のあった BENIGUNO AQUINO (ベニグノ・アキノ)氏が暗殺されていなかったら、起こっていなかったかもしれません。
振返ってみれば、あっという間の20年でした。
当時のことを知らない方も多いことでしょう。ここで2冊の本を紹介しておきます。
インターネットもない時代、必死になって現地での事情を知ろうと読んだ、数少ない貴重な本です。
■ 暗殺の壁画
河出書房新社 ISBN: 4309003745 (1984/07)
著者は、現東京都知事 石原慎太郎氏
著者後記で、こう語っておられます。
「1983年8月21日、マニラ空港で暗殺された私の親友、ベ二グノ・アキノ元上院議員と私の交友に関して記したものである。私自身も政治に身を置くものだが、彼の暗殺ほど、政治の持つ残酷な不条理を身にしみて教えた出来事はない。」
■ コラソン・アキノ―闘い(ラバン)から愛(ラブ)へ
立風書房 ISBN: 4651700314 (1986/11)
著者: 若宮 清
著者、若宮清氏は、死をも覚悟して帰国したアキノ氏に同行し、結局暗殺の寸前まで機内で彼と共にしていたジャーナリストです。
EDSA 革命についてもっと知るには ▼
■フィリピン・インサイド・ニュース
■WIKIPEDIA (英文)
■フィリピン現地のサイト(英文)
・THE 1986 EDSA REVOLUTION WEBSITE
ページ左にメインページ、右にフラッシュムービーの表示があります。
是非、右のフラッシュムービーから入ってみてください。
・THE 1986 EDSA REVOLUTION WEBSITE
上記のメインページに直接アクセスします。
・PHILIPPINE EDSA REVOLUTION
アキノ氏暗殺から、マルコスをはじめ、EDSA 革命時の立役者が全員勢ぞろい
しています。
英文ではありますが、当時の緊迫感が伝わってきます。
2月23日、レイテ島の救援状況を気にしながら「クーデター計画発覚、将校14人を逮捕」というニュースの見出しには気がついていました。でもそれほど気には止めていませんでした。
2月24日、「エドサ革命20周年にあたって新たなピープルパワーによる暴動や反乱が懸念されることから全国で警戒態勢を敷いた。」
この記事の直後でした、アロヨ大統領が『非常事態宣言』を発令した、ということを知ったのは。
2月25日、CORAZON AQUINO (コラソン・アキノ)が大統領に就任した日です。
アキノ、ラモス両元大統領、ロサレス枢機卿らが参列した「エドサ革命20周年記念」のミサは、エドサ聖堂で午後1時すぎ無事終了したとのこと。 就任以来、毎年ミサに参列してきたアロヨ大統領は出席しなかったそうです。
国軍の指揮命令系統に乱れは出ておらず、クーデター計画は失敗に終わった、というにもかかわらず、『非常事態宣言』を発令したアロヨ大統領に対し、コリー(アキノ元大統領の愛称)はミサ終了後、「非常事態宣言は戒厳令同然だ」と現政権を非難したそうです。
アロヨ大統領辞任を訴えて2005年7月に辞任した元閣僚らも、「現政権の不正と圧政」を非難して、アロヨ大統領の「即時辞任」をと訴えているというし。
* * * * * * *
あ〜、またもや、フィリピンの危機。せっかく《フィリピンがイメージアップ》しようとしていた矢先に。
こういうニュースが全世界に向けて発信されるたびにフィリピンのイメージがダウンして、旅行者も減っちゃうんですよね。
実際、今日からフィリピンに行くはずだった人から24日の夜遅く、「取りやめになった」との連絡がありました。
これ以上、事態が悪化しなければいいのですが。
たしか、EDSA 革命の時は外務省から『渡航中止勧告』が発令されたのでは?(もしくはフィリピン行きの便がキャンセルされただけだったのか?)
実は当時、私は1週間後にフィリピン行きが決まっていたのです。ですからあの時はずっとテレビの前に釘付けでした。
日本の報道陣も現地入りし、実況中継をしていたことを覚えています。
この時、マルコス独裁政権崩壊をリポートした「フィリピン報道」で、キャスターの安藤優子さんが、ギャラクシー賞を受賞したのです。
マルコス一家国外脱出の約1週間後、民衆に初めて開放されたマラカニアンの庭に私はいました。
「無謀」だという声も周囲からはありましたが、怖いもの知らずの私は、たしか3月4日か5日には新政権下のフィリピンに足を踏み入れていたのでした。
左の写真は、その時にマラカニアンの前で買ったコリーカラーのTシャツです。
EDSA 革命20周年であることから、この Tシャツのことを思い出し、今週末のブログに載せようと思っていたので、実家の押入れの奥から引っぱりだしてきたものです。虫喰いもなく、20年間押入れで静かに眠っていました。
こちらの写真は、 EDSA 革命に参加した友人が写した生写真です。
いただいた何枚もの写真には、人・人・人で埋めつくされた EDSA が写っています。みんな、コリーカラーである黄色を身につけています。
EDSA 革命直後に出会った人たちは、長期間に渡る苦難、抑圧、不正、絶望の日々に終止符が打たれ、自由を勝ち取ったことで喜びに満ちあふれていました。
EDSA 革命で、コリーは大統領に就任しました。 この革命と勝利は、彼女の夫、NINOY(ニノイ)の愛称で国民に人気のあった BENIGUNO AQUINO (ベニグノ・アキノ)氏が暗殺されていなかったら、起こっていなかったかもしれません。
振返ってみれば、あっという間の20年でした。
当時のことを知らない方も多いことでしょう。ここで2冊の本を紹介しておきます。
インターネットもない時代、必死になって現地での事情を知ろうと読んだ、数少ない貴重な本です。
■ 暗殺の壁画
河出書房新社 ISBN: 4309003745 (1984/07)
著者は、現東京都知事 石原慎太郎氏
著者後記で、こう語っておられます。
「1983年8月21日、マニラ空港で暗殺された私の親友、ベ二グノ・アキノ元上院議員と私の交友に関して記したものである。私自身も政治に身を置くものだが、彼の暗殺ほど、政治の持つ残酷な不条理を身にしみて教えた出来事はない。」
■ コラソン・アキノ―闘い(ラバン)から愛(ラブ)へ
立風書房 ISBN: 4651700314 (1986/11)
著者: 若宮 清
著者、若宮清氏は、死をも覚悟して帰国したアキノ氏に同行し、結局暗殺の寸前まで機内で彼と共にしていたジャーナリストです。
EDSA 革命についてもっと知るには ▼
■フィリピン・インサイド・ニュース
■WIKIPEDIA (英文)
■フィリピン現地のサイト(英文)
・THE 1986 EDSA REVOLUTION WEBSITE
ページ左にメインページ、右にフラッシュムービーの表示があります。
是非、右のフラッシュムービーから入ってみてください。
・THE 1986 EDSA REVOLUTION WEBSITE
上記のメインページに直接アクセスします。
・PHILIPPINE EDSA REVOLUTION
アキノ氏暗殺から、マルコスをはじめ、EDSA 革命時の立役者が全員勢ぞろい
しています。
英文ではありますが、当時の緊迫感が伝わってきます。